6月9日
朝鮮特派
朝鮮の地位狀態今更之を說かずと雖ども、其
事變は單に朝鮮の事變に止らずして、東洋の
全局に波及するは世人の均しく認むる所、然
るに一朝東學黨の起るや勢破竹の如く、全羅
忠淸の二道早く已に其占領する所となり、京
城の沒落亦旦夕を計られざる者あり、淸國一
萬の貔貅已に飛渡して仁川にあり、各國の▣
▣亦玆に集まる、而して北方の魯兵亦境土を
越えて來ると云ふ、音信不備にして諸說紛紛
實情容易に知り▣き者あり、固と是れ東洋の
大事にして此の如し、耳目の重責を以て任ず
る者此際豈默過して可ならんや、玆に於て我
社は健腕彩筆を有する高木利太を特
に彼地に派遣し、或は電信を以て或は郵
報を以て、詳稱に敏速に之を紙上に載せ、讀
者をして坐して戰地に入り彈丸雨飛の間に奔
走し硝烟濛濛の裡に呼吸するの成あらしめん
とす、而て高木利太は今や已に旅程
に在り珍聞奇報の讀者を驚かすこと▣
三日を出でざるべし讀者刮目して之を待て
●東學黨 一昨日の午後京城を發し上海を經由して到着し ●金玉均の弟 (同上)
金玉均に弟あり東學黨に與すと云ふ
●朝鮮事變と朴泳孝 風說に曰く東學黨の蜂起 ●東學黨の將帥 首將は鄭道會、左將は徐薰角 ●閔族の怖るゝ者 十五年の變亂に閔族の誅を ●女房京城に在る夫を氣遣ふ 胸に波うつ川
たる電報に曰く東學黨は舒川沖に於て運送船及
通船八艘を掠奪せり
は閔黨の失政を攻擊するに在るを以て其首領株に
屬する者、疾くに密書を朴泳孝等に送りて閔黨撲
滅の協議をなしたりと又曰く朴泳孝頃日獄中に在
りて同房の囚人に向ひ乃公をして今出獄せしめば
直ちに忠淸道に走りて東學黨を指揮し一擧に在朝
の奸吏を掃蕩せんに……と而して此泳孝の話なる
者は近頃出獄したる同房囚の口より傳へらると
右將は崔大雅、而して別に外國人あり其帷幕の
籌策に參すと傳ふ
免れ咸鏡道に脫走せし士族千餘名あり彼等は皆軍
事に精練し刀鎗銃砲の使用に慣熟す東學黨の勢ひ
猛烈なる者此士族の加はり居るが爲に非ずやと是
れ閔族の疑ひ且つ怖るゝ所なりと云ふ
口邊とか本田邊とかに早見某といふ貿易商あり早
見先ごろより朝鮮へ航り其所此所と廻り步きて當
時は京城に足を駐め居るが只さへ旅の身とありて
は留主守る者の案ずるに況て東學黨の浮評まちま
ち今にも京城へ乘入むばかりに言ひ觸すより女房
いよいよ心ならず日每に配る新聞紙を採て京城の
容子いかにと見ゐたるに昨日號外とて配達人が投
込み行くを急がはし氣に讀で見ると京城は早や重
圍の內に陷りしとの事を記しあるよりアツとばか
りに打驚き直にも行ける所ならば安否を聞きに行
きたく思へど隔る土地の悲しさには夫さへならず
奈何せうと座敷の中を驅步き果は店を手代に任せ
て夫の安否を探るため朝鮮へ出發せむと爲したる
を親類の人等が聞き知つてさまざまに論し漸く思
ひ止まらせしより女房責ては神佛へなと夫の無事
を祈らむものをと昨夜より井戶端にて水を浴び頻
りに祈願を籠ゐるとは心の裏ぞ思ひやらるゝ