6月18日 去十六日京城發の電報に曰く千五百の淸兵牙山 ●韓廷の浮說 (同上)
京城發電報又曰く朝鮮政府は相變らず東學黨の ●驚くべき石炭の騰貴 朝鮮事變と運搬不便の ●淸兵の動靜 淸兵の朝鮮に在る者大約二千、 ●愚民洪鍾禹の出るを望む 朝鮮愚民洪鍾禹を ●亂地の日本人 東學黨の兵器なく英雄なく革 ●劍客渡韓せんとす 名古屋に一劍客あり同志
●淸兵の動靜 (
に在りたる者の內幾分は東學黨の居らざる公州
に向て分派したり而して未だ一回も東學黨と戰
はず恰も袖手傍觀の樣なり或は云ふ若し淸兵動
かば日本兵亦動かん玆に至らば如何なる事端を
啓くも知るべからずと懸念するに因ると又威海
衛、旅順口、山海關等より四五千の淸兵來るべ
しとの說あれども未だ到着せず云云と
首領等誅に伏したりとて官兵甚だ熾んなるが
如き浮說をなし戰況は極めて祕密にし置けり然
れども全く鎭定したりとは韓人自らも信ぜずイ
ツ如何なる事起らんかとて人心恟恟たること依
然たりと
爲め當地の炭價非常の騰貴を來したることは前號
に記せしが京濱間も亦た將さに石炭欠乏の恐慌を
來さんとし爲めに其價格も驚くべき騰貴を爲せり
數日以前北海道炭礦鐵道會社より橫須賀鎭守府へ
一千五百噸納付の約束を爲せし直段は一噸八圓五
十錢にして其後鎭守府は同會社の貯炭を悉皆買取
らんとの掛合ひを爲せしも目下會社の貯炭は京濱
を合せて二千五六百噸に過ぎず之を皆な賣却して
は約定完納付に差支ふるを以て餘儀なく一千噸丈
けを一噸九圓にて賣渡するの約定を爲せりと又同
會社は靑森鐵道局へ納付の石炭も一噸八圓五十錢
の高直にて落札せし由斯く高價に賣るときは一噸
に付四圓以上の利益ありと云ふ
其一半は牙山に在り一半は公州に進めりと而して
未だ東學黨と戰ひたるを聞かず人其豫想外なるに
驚く或は云ふ東學黨もと烏合にして中堅と稱すべ
き者なし隨て追へば隨て集まり出沒隱見自在にし
て之を鎭壓すること容易ならず故に牙山と公州と
に止り亂民の京城闖入を遮斷するなりと或は然ら
ん然れども烏合の弱兵却て鎭定し易からん淸兵の
戰はざるは其準備整はざるか其力足らざるが爲め
ならんと又曰く牙山屯營の淸兵一部京城に入り公
使館を警衛せり而して其東學黨と戰はずして傍觀
する者は本と朝鮮政府が公然派兵を淸國に要求し
たるに非ずして閔氏の勝手なる處置に出で爲に異
論を惹起したるに由ると又云ふ淸兵一萬仁川に着
したるは虛報なりと飛說紛紛深霧の掩ふが如し暫
く記して確報を待つ
大人物と想像し洪出れば東軍直に面縛降を乞ふべ
しなど云ひ洪が不日一方の將となるべしとの說坊
圓に盛んなりと云ふ笑ふべし
命の本志をして遂げしめざる如きは殘念なりとて
惜めり二六新報は記して曰く日本人にして亂地に
入込み居る者は我社の知る所のみにても十六名あ
り何れも少壯有爲の男兒なりと亂地に居るとは何
の爲にか東學軍の爲にか將た韓軍の爲にか敢て問
はん
の擊劍家凡そ三十名を募り日本武術の精銳を示す
爲め香港より朝鮮內地に渡らんとすと云ふ