6月19日 京城發の電報に曰く東學黨一軍の首領官軍の爲 東徒の志憐むべし
權臣宮務の內に▣屈じて聖王の明を掩ひ、貪吏廓 東學黨の起る固より偶然にあらず其の口に藉く處 東學黨の志氣此の如く固く其行動此の如く壯なり 嗚呼朝鮮は東洋に於ける諸强頡頏の要衝而して民
●東徒一軍の首領殺さる
(
めに殺されたりと
域の外に跋扈して良民の血を絞り、黠狡の輩四方
に出沒して香餌に就き利路に赴き、節義地を拂ふ
て空しく所謂上下交も利を爭ふて邦卽ち危きもの
是れ朝鮮の狀態にあらずや、適ま仁人志士の此間
に崛起して國命を革めんと欲するものありと雖も
事局時に非にして一旦其策を失するや暴橫の徒益
す虐威を逞くし自家に反するの徒をして身を居く
に處なからしめ、其遁避するものは或は之を窮追
し、或は之を陷穽し、捕へて以て其一身を裂き其
九族を誅し凡そ人間の慘を極めて顧念する處なき
に至る、嗚呼此の志士屠られ仁人煮られ邦土は只
虎狼の爪牙に委するの時に當り能く天誅の戟を執
り、安民の旗を飜へして以て禍機を轉ずるもの果
して誰れかある
を聞けば未だ必しも單一の目的に出でずと雖も其
實は專ら暴吏を誅滅して以て君側を淸め以て民人
の疾苦を救はんと要するに在るが如し彼の徒已に
此大望を懷き多年の積弊を打破せんとせば必ず千
艱に耐へ萬難を排し吾往の志を固くして以て此
擧に出でたるや明かなり、東學の志誠に稱す可し、
苟くも朝鮮の近狀に通ずるもの誰れか此一擧の
已むを得ざるに出でたるを察せざらんや、東學黨
の勢力甚だ盛なり、彼の徒に精兵巨砲なきも能
く古阜を取り能く全州を陷れ忠淸道の一部を風靡
して將さに長驅京城を衝かんとす、誰れか其壯快
を想察せざらんや
と雖も推して彼の徒の末運を念へば轉た惋惜に堪
へざるものあり、人或は曰く閔氏は朝鮮の一名族
漫りに權柄を弄して國土を危くす東徒義兵を起し
て之を誅するは是れ一の革命軍にして通常一國內
に蜂起するの匪徒と見倣す可らず、故に他國の政
府として其權族を助くるも將た東學黨を助くるも
皆な任意のみと、夫れ朝鮮の國情と東學黨の起因
とを察ぜば此の如きの感を爲すもの一理あるに似
たりと雖も然れども閔の一族は自から閔の一族に
して朝鮮政府は自から朝鮮政府なり、閔氏が其政
府に最も勢力を有するが爲めに閔氏を以て朝鮮政
府と同視す可からざると等しく朝鮮政府に反抗す
るものを以て單に閔氏に反抗するものと爲すこと
を得ず、卽ち東學黨は專ら閔氏の暴橫を憤りて此
擧に出づと雖も其政府に反抗するの名は終に免る
可らず、若し東徒にして果して能く各州を席卷し
京城に入りて閔氏を誅し國王を擁して以て八道に
殉へ國王も亦た其勝者に聽きて革命を認むるに至
らば則ち東徒の名も亦た正しきを得ん、然らざる
も今にして國王暴橫の吏僚を掃蕩し斷然非政を革
めて以て東徒の望を滿たしめば亦た東徒の名を正
うするに足らん、是れ立國王國の常道にして苟く
も此二途に出でざる以上は東徒は終に賊名を脫す
ること能はず隨て他邦は其國際上正面に東徒を幇
助する能はざるなり
力疲れ國帑枯れ士氣凋衰して亡國の兆を現はすや
久し是れ獨り朝鮮一國の患に非ずして東洋大局の
患なり、今に及んで其國弊を掃蕩し以て狂瀾を已
倒に回へすは焦眉の急に屬す、適ま志士立て不幸
蹉跌し、義兵亦た起つて其志を達せずんば東洋
の大勢をして能く平安に歸せしむるもの曷れの時
にかあらん而して正面に其國內の賊徒を幇助する
は國際上他邦の能くす可からざる處なりとすれば
東學黨たるもの誠に憐むべく東洋の安危亦た測る
可らざるなり、國王果して東徒の望みを容るの明
あるか、他に國王をして東徒の望みを容れしむる
の勢力者あるかにあらずんば東徒は終に賊名を負
ひて斃れ東洋の危機亦た迫まるに至らん、我國の
此間に處する只旗皷の整正を以て外人の目を眩せ
しむるのみにして足らざるなり