닫기

연락처
기념재단
TEL. 063-530-9400
박물관
TEL. 063-530-9405
기념관
TEL. 063-530-9451
Fax.
063-538-2893
E-mail.
1894@1894.or.kr

동학농민혁명기념재단 사료 아카이브 로고

SITEMAP 전체메뉴

1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪每日新聞 대판매일신문
  • 기사명
    明治27年(1894) 6月 21日
  • 이미지
    prd_0137_039 ~ prd_0137_042 (227 ~ 230쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 05월 18일
일러두기

6月21日

○仁川の動靜 東學黨の最も猖獗を極め居る處
は全羅道にして其都府なる全州之が牙營たり黨勢
漸次忠淸道に擴がり京畿道を犯さんとする摸樣あ
りと雖も未だ京城仁川を騷がす程の紛亂にもあら
ず左れば仁川港に於ける人氣は更らに騷げる色も なく商業普通に行はれ人心安堵せり但一時に多數
の軍艦入港したる爲め幾分か物價の騰貴を來たし
たる氣味あるも爲に物品の缺乏を來たすが如き一
もあるなし海岸に堆積せる米穀は依然として累累
として山をなせり全羅道は素より米穀の最大産地
にして此地東黨の手に歸して亂戰の中にあれば米
穀の仁川に來るもの全く杜絶されたる觀あれども
朝鮮米の我邦に來たるものは讀者の已に知らるゝ
如く多く朝鮮米にあらずして上海地方より輸入し
來る支那米なれば今後とて其輸入を減じ又た其在
米を全くなからしむるに至るが如きことは萬萬な
かるべしと信ず要するに仁川港の動靜は少しも騷
げる色なく都て各國軍艦の港口に碇泊したるより
一層商勢の盛況を來したるを以て商人滿面喜悅の
色を呈し居る位の事なり昨十二日到着したる廣嶋
師團の軍隊千餘名は今日午前上陸し日本郵船會社
支店を司令部に充て當地第一旅宿水津を以て大隊
本部とし參謀陸軍少佐長岡外史氏玆に泊せり

陸軍兵は上陸するや各日本家屋に割當てゝ暫時休
息の後隊伍精整號令嚴明徐徐陸路を京城に取つて
出發せり出發後居留地亦た陸軍兵の滯在を見ず唯
だ司令本部に劍銃を携へたる番兵の門前を護衛す
るを見るのみ日本郵船會社及び大阪商船會社の
支店は皆な今回の陸軍兵到着の爲め業務俄かに繁
激となり徹夜して事務を整理し殊に郵船會社の如
きは釜山より副支店長楠本武俊氏來りて御用船一
切に關する事務に鞅掌せり

朝鮮に於ける米
穀の前途 (六月十五日)
仁川に於て 高木利太

着仁以來未だ日數を經ざるを以て充分なる調査
を爲すの遑なし然れども此事我商業社會に重
大の關係あるを以て短時間內に出來得る限りは
盡力を爲し其一斑を讀者諸君に報ずるを得るの
場合に立ち至れり

我邦に輸入し來る所の朝鮮米穀は朝鮮米と稱する
も其實支那米多きに居るは世人の能く知る所なり
然れども今後朝鮮より輸入する所の支那米は全く
其跡を絶ちたるなるべし如何となれば朝鮮政府は 支那公使と談判の末上海より朝鮮に入るべき米穀
を奬勵するため支那政府は朝鮮輸出米に限り上海
を無稅とし朝鮮政府は支那米の輸入に限り之を無
稅としたるは實に昨年の事にして其契約の期限は
陰曆四月三十日を以て終日となりたり左れば其後
に及んでは仁川港には更に支那米の輸入なく今日
仁川の波止場に風に曝され雨に打たれ倉庫なくし
て堆積され居るもの一萬俵(一俵百五十斤入)內外
ありと雖も其內支那人の所有に歸するものは更に
之を手數する氣色も見えず要するに朝鮮に於ける
支那米は日本人の所有に屬するものゝ外は荷客全
く日本に向ふべきものなきに至りたるが如し

更に轉じて朝鮮米の景況如何を述べんに今年は兎
に角來年に及んで之を輸出することは勿論六ケ敷く
或は却て日本より朝鮮に米穀を供給するの止むを
得ざる場合に立ち至るも知るべからず元來朝鮮に
於ける米産地と云へば先づ全羅道にして其殊に多
きを産する地は東學黨亂の燒點となれり人民は旣
に戰亂のために其麥作を妨害せられたるのみなら
ず政府より戰亂鎭撫御用米として其蓄藏する所の
米穀を收領せられ且つ自己の耕作上唯一の農具と
して使用せる所の牛馬を取上げられ殆んど農作に
手を出すの勇氣なきなり是れ單り戰地近傍のみに
止まらず全羅道全體の農民は何れも皆耕作を爲す
も馱目なりと稱し中には家內の道具を取り纏めて
安全なる地方に遁げ仕度を爲すものさへありて今
秋の收穫は殆んど皆無の姿なり朝鮮の如き未開の
地に在りては交通の不便は素より貿易も未だ充分
に擴がらざれば一時に凶類の襲ひ來るが如きことあ
らんには直ちに之を救濟すること素より難く各地に
米穀の欠乏を感じて早晩餓に泣く不幸の貧民を見
るに至るは必定なり但しまた何處も米穀の欠乏を
見るには至らざるも京城の如きは旣に多人數の入
込み居ること故米穀は日本兵到着の前前より漸く騰
貴して朝鮮白米一石に付中等八圓五十錢上等九圓
に達せり又た仁川の如きは此戰亂のため內地より
輸送し來るもの漸く減少し昨今は全く之を絶ちた
る▣如き▣あり去れば物品の拂底に隨ひ之を望む
もの多く中に▣▣の▣下を論ぜず▣▣買入るゝ向
きもありなど噂さすれども未だ夫れまでには至ら ず前日來六圓五十錢內外のもの七圓にて取引を爲
すに至りし摸樣なり兎に角朝鮮に於ける米穀の昇
騰は到底此位の事にては止まざるべく見えたり而
して目下仁川に於ける在米は支那米一萬俵朝鮮米
三千俵位なり

余は更に讀者に向つて新事實を傳へんに昨十四日
夜より仁川には雨を交へたる暴風起り今十五日午
後に至るも尙ほ止まざりし此は朝鮮に於て珍らし
き暴風にて居留地に在留する日本人の曾て見ざる
暴風なりと云へり我邦に於ては已に麥の收穫を終
はりて稻苗植付に着手し居れるも朝鮮に於ては目
下麥の收穫最中にて尙ほ未だ刈込みをなさゞるも
のも少なからず本年の麥作は我邦同樣豐作なりと
傳へ居りしも此暴風の爲め損害を被むりたるもの
少なからざるべし

이 페이지에 제공하는 정보에 대하여 만족도를 평가해 주세요. 여러분의 의견을 반영하는 재단이 되겠습니다.

56149 전라북도 정읍시 덕천면 동학로 742 TEL. 063-530-9400 FAX. 063-538-2893 E-mail. 1894@1894.or.kr

문화체육관광부 전라북도청