6月27日
東學黨の退去と全州の平穩 東學黨
が全州を捨てゝ金堤、金溝の地に引揚げたるは招
討使よりの電報に依り取敢へず報道せし所なるが
去五月十二日(韓曆)我が公使館より派遣せし高嶋
語學生が全州より發せし報告の電報は左の如し
本日五時到着し直ちに招討使を訪問せり
參禮の電報局は全州に移したり
東學黨は離散し全州は鎭靜したり巡邊使は未だ
參禮に在り江華の兵丁三百武器引換への爲め軍
倉に往き明後日又た來る筈なり淸兵は來る摸樣
なし東徒巨魁の遺屍は鹽漬にして京城に送ると
云ふ
又た翌十三日夜を以て洪招討使より韓廷に發せし
電報に依るも
東徒の各所に散屯せし者皆泰仁邑(京城を距る
五十七里)に集まる盡く軍器を官庫に納め自ら
退歸を願ふ而して或は捕へられ或は歸去り一例
盡く散じ更らに聚屯の處なし是れより東徒盡く
平ぐ實に萬幸なり
右の二報は全州の平穩と東學黨の退去とを證する
ものなり果して然らば東徒の亂亦た憂ふるに足ら
ざるなり尤も招討使の電報は少しく誇大の報道な
るべく東徒の降を乞ふ如きは疑はしき事と云ふべ
し尙ほ後報を怠らざるべし