7月9日
閔泳駿と閔泳煥 今や朝鮮上下
の物論閔泳駿を攻擊するもの非常に多く泳駿廟堂
に在る以上は朝鮮の無事到底望む能はず宜しく之
れを斬殺すべしと迄主張するものさへ顯はるゝに
至れり抑も東學黨の起るや其原因皆地方貪吏の暴
虐にあり而して貪吏は多く泳駿の薦に係る是れ泳
駿を攻擊する所以にして泳駿の寵▣も亦漸く衰へ
んとす之れに引き替へ閔泳煥の勢望愈愈盛にして
今や泳駿を凌がんとするの勢ありと云ふ泳煥は曾
て宣惠堂上の榮職に在りて閔族勢道中の主權を握
りしことあり泳駿を倒して之れに代らんとの野心
あるものなれば兩閔の形勢一▣する亦遠きにあら
ざるべし
全州よりの飛信 去る廿六日の夜全州派出の○
○語學生より電報ありたる由其報左の如し
視察の爲め明日出發す附近盜賊多き由昨日淸國
兵二十名到着せり
此報に依れば同語學生は全州以南の實況視察とし
て已に出發せしなり盜賊とは東學黨の徒を指した
るか又當地名物の不良徒と稱する盜賊なる乎電報
簡にして知るに由なし