7月22日
我大方針一定動かず 鷄林の通信其眞
を失ひ朝に開戰なるが如く夕に平和なる
が如くなるを見て或は我政府の對韓策一
變したるならんかとの疑を抱くものある
よしなれども我政府の大方針は當初より
今日に至るまで寸毫も變更する處なく着
着最初の目的通りに進行しつゝあるなり
畢竟我出兵は朝鮮國政の改革を爲すが
目的にして淸國と戰端を開くが目的と云
ふにあらず只其れ東學黨の一擧ありしよ
り朝鮮の國政を改革せんとするに就いて
は隣邦の交誼として共に與に盡力せんと
我日本より支那に申送りたるも支那の頑
迷なる我厚意を無にし「朝鮮は我屬國な
れども自治を許したるものなり故に我れ
干涉すること能はず東學黨亦已に鎭定せ
り別段介意に及ばず」云云の答を與へた
るを以て然らば我國の獨力にて事を擧べ
しと決心し此擧に及びたる次第なれば淸
國にまれ將又他の邦國にまれ我事業の進
行に向つて妨害を與ふる者あれば誰彼れの容赦な
く攘却し去らざるべからず此事業に向つては豈獨
り淸國のみ敵とせんや然れども此目的を妨げざる
限りは我より好んで戰端を開くには及ばざるべし
而して今や我目的たる朝鮮國政改革談判如何と云
ふに着着所期の彼岸に向つて進みつゝあるなり