8月20日
東學黨の再興 東學黨一時鎭定せ
しと雖ども時機の可なるに際せば再び土を捲て來
る必然ならんとは予等の常に唱ふる所なりしが果
せるかな頃日忠淸道利仁驛に於
て多數の黨與集合し將に大い
に爲すあらんとの報に接す元來東學黨は忠淸全羅
の地方に於て暫らく平穩に歸せしが如しと雖も過
日同地方を實測し來りし人の談話に依れば同地方
道は到る所として東學黨ならざるなく今や各郡守
縣令は一は其鼻息を伺ひ以て其禍に罹るを免れ居
る姿なれば東學黨も强て暴發することもあらずし
て其鋒▣を藏め居ると雖も若し一朝其命に隨はざ
るものあらん乎忽ち同黨の蹶起を促すこと瞭瞭と
して火を睹るよりも明かなるの情勢なりと然るに
今利仁驛に於て再發の說ありと雖ども之れを前後
の事情より觀察するに決して大騷擾には至らざる
べく彼等は只新政府に向て要求する所ある位に止
まるべしと思はる一說に依れば東學黨は委員
數名を撰んで上京せしめ
新政府に向て懇請する所あるべしと之れ或は眞說
ならん而して新政府は東徒再興の說を聞くと同時
に一昨九日內務參議鄭啓源を以て宣撫使とし該徒
鎭撫の爲め二三日內に出發全羅道に向はしむと云
へば敢へて憂ふべき事あらざるべし