8月26日
東學黨宣撫使の出發 東學
黨再興に就て韓廷は內務協辨鄭敬源を宣撫使とし
て綸旨を奉じて同地に出發せしむるに就き去九日
議政府は上書して曰く
卽聞利仁驛、有東學輩聚會、其衆甚多云、協辨
內務府事鄭敬源、湖西(忠淸道を云ふ)宣撫使差
下、令該曹口傳下批、當日下送、仍以前日所下綸
音、閣城宣布後、設法招撫指云利害、期令一日
覺悟、各皈安業之地何如
該上書に對し國王殿下は直ちに允可あらせられた
れば扨こそ愈派遣のことゝなりたるなり利仁驛と
は公州と扶余との中間に在る所なり
東學黨が今回忠淸道に起りたるは實に一種の大祕
密あることにて同黨は獨り忠淸道のみならず全羅
道は更らなり各道にあるもの悉
く舊七月一日を以て蜂起
する手筈なりしなれば其起る決し
て偶然ならず予は少しく思ふ所あるを以て今ま之
れを詳報する能はずと雖ども他日機を見て報道の
任を盡さん只玆には利仁驛と相距る遠からざる鷄
籠山には東徒の爲めに天祐を與ふる風雲貌ありと
の一事を報じ置かんのみ