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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪每日新聞 대판매일신문
  • 기사명
    明治27年(1894) 8月 29日
  • 이미지
    prd_0137_076 ~ prd_0137_078 (264 ~ 266쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 07월 29일
일러두기

8月29日

●韓人の暴行 門司新報は左の如き報を記載せ
り事實ならば韓人の暴行惡むべし

吉母浦の漁夫全羅沖の危難 山口縣豐浦郡吉母
浦漁夫大濱惣吉藤田兵助二名二艘の日本形船にて
何れも三名の舟子と共に漁業の爲め全羅沖に行き
居りしが本月七日午前九時全羅道チンチユ沖の或
る一▣に着し舟子六名を上陸せしめ飮料水を取り
居らしめしに遥か沖合より凡そ百石積みとも思ふ
べき舟に韓人三十名計乘り組み各各槍や火繩筒の
兵器を携へ同船目掛けて漕ぎ寄せ來たり矢▣に二
人に取つて掛り兩人共捕縛の上惣吉は頭部を毆打 せられ兵助は足部を斬り付けられ居りしに又又上
陸せし二人の舟子歸來たるを捕縛し船中▣なく搜
査し韓錢十六貫七百文外に十二點の物品を奪ひ取
りし處に殘りの上陸せし四人が歸り掛かりしも此
の樣を見て直ちに跡に引き返したるが韓人は四人
の影を認め何れともなく逃げ失せたり依て惣吉兵
助兩人は舟子と共に萬死中に一生を得て本月十三
日對州に着し同地鷄知警察分署へ此旨を屆け出で
本月十八日無事豐浦郡吉田村に歸りたり

安岡浦漁夫も萬死を免る 此れも山口縣にて豐
浦郡安岡浦米▣彌兵衛()と云ふものなるが彌兵
衛は以前より全羅道沖にて漁業の爲め稼ぎ居りし
が本月八日漁場を轉ぜん爲め▣チ▣ン嶋を發して
全羅道の沖を通行の際廣嶋邊に在る繩船の如きも
の一艘來掛り彌兵衛の舟に向ひ聲を掛け注意して
曰く此れより先きに進むと海賊が居るから航路を
換へよと叫びしが何分にも風位の都合にて航路を
換ふる事出來ず已むなく其の儘進行し翌九日の朝
に至り全羅道の沿海チンチユの瀨戶に着するや向
ふより凡そ二百石積とも思はしき韓船が縱七尺橫
二尺四五寸位の旗を船の兩端に立て又た黃色の縫
ひある旗を▣頭に揚げ彌兵衛の船に向ひ漕き寄せ
來たり待てとの聲は慥かに韓音にて次第に近づく
や船を見掛けて發砲を始め砲丸は彌兵衛の肩をか
すり一船のものは大に驚き▣に全力を注ぎて逃げ
んとするも何分乘組員は倉田平吉なるものと朝鮮
人の釜山より雇ひ入れし三人にして殊に平吉は病
氣にて臥し居り如何にあせるも策の出づべきにあ
らず韓船は遂に同船に漕ぎ付け刀や銃身を振り廻
し船に乘り込み來たり第一に雇朝鮮人を捕縛して
次に彌兵衛に取て掛り無茶苦茶に刀や銃にて彌兵
衛を傷け病人の平吉をば二つ三つ毆打し米八斗入
り十一俵韓錢四十四貫ピストル一挺時計一箇其の
外水産製造品一切を奪ひ取り尙此の事を▣せん爲
め三人とも殺害するの模樣あるより朝鮮人は頓智
を出し此の彌兵衛は私の實父なれば何今私を殺
して實父を助くる樣にと其の大將とも見▣るもの
に只管哀情を以て訴ふるより韓人等も此れに動き
れ大將の命にて遂に助かる事となりしかと折柄始
中にて騷動の際大將の持ちし書類一通彌兵衛の前
に落ちしより彌兵衛は此れを▣▣にと竊に▣にて
踏み知らぬ顔して居る內に三十六名の韓人一同は 手前の船に引き▣しが暫らくすると同船より再び
彌兵衛の船に漕來たり大切の書類を落せしが必定
拾ひ居るに相違なしと又又危險の振舞をなすより
同書類をば好ひ加減に云ひ繕ふて渡して事濟み大
將の云には遠方に歸る事故米▣管▣マツチ等を渡
し必らず此の事を他言すべからすと云ひ殘して何
處ともなく逃げ去りたり依て同人等は本月十三日
對州に渡り鷄知警察分署に砲丸を證として屆け出
で十七日に無事歸村したり同韓人等は東學黨の殘
類ならんと云へり

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