9月10日
韓廷復た宣撫使を派遣す 曩きに東學黨宣撫使
として忠淸道に派遣せられたる學務協辨鄭敬源は
未だ歸京する能はざる由なるが東學黨蜂起の傾向
あるは獨り忠淸道のみに止まらず全羅、慶尙の兩
道にも續續發生せんとするの形勢あるより朝鮮政
府は鄭敬源一人にて行屆かざるべきを察し更らに
慶尙道の宣撫使として議政府都憲李重夏を差遣す
ることとなりたり右に就き議政府が國王殿下に上奏
せしものを見るに
湖西(忠淸道を云ふ)宣撫使鄭敬源、向以三南(忠
淸、全羅、慶尙の三道を云ふ)兼差、而見今事勢
有難兼行三道、更以兩湖(忠淸、全羅を云ふ)宣
撫使改付標、嶺南(慶尙道を云ふ)宣撫使、別
以都憲李重夏差下、使之馳往、宣布朝廷德意、
仍察吏鄕贓否民生疾苦、一體登聞事分付何如
卽ち向きに派遣せし宣撫使鄭敬源は忠淸、全羅、
慶尙の三道の宣撫使を兼行する筈なりしも今回改
めて忠淸、全羅兩道のみの宣撫使とし慶尙道には
別に李重夏を以て宣撫使として差遣することを上
奏せしなり然るに國王殿下は傳して曰く
當下綸音矣
此綸音とは卽はち詔勅を云ふなり李重夏は該綸音
を奉じて將に慶尙道に派遣せらるべしと云ふ