9月23日
三南の騷擾 忠淸、全羅、慶尙三道に蜂起せし
東學黨否な亂民の橫行は日を追ふて益益熾んなり
列邑の守宰只手を束ねて之れを傍觀し其害に過は
ざらんことを之れ恐るゝの有樣にして鎭撫の道殆
んど其效なきものゝ如し宣撫使として派遣中なる
鄭敬源頃日上啓して曰く
頒示綸音、宣布德意、撫綏生靈、旣散者復聚、已解
者猶結、實由溺職之責、臣不承惶恐、待罪事
國王殿下此上啓に接し憂慮一方ならざるも策の施
すべきなし卽はち鄭敬源の上啓に答て曰く廟堂を
して稟處し罪を待つなきことを回諭せしむと而し
て一方には前の左議政たりし趙秉世を派遣して之
れを招撫せしめんとせしに趙秉世素より自家の境
遇、失勢失權の人たるを知り到底其效なきを悟り
敢て命に應じて出去らず是に於て政府中議論紛紛
として決する所なく頻りに憂慮し居ると云ふ其窮
狀憶ふ可し