10月29日 二十五日釜山發の電報に曰く釜山の商人二名豫 ●東徒益益猖獗 二十五日午前發にて左の電報あり
曩に派遣の守備隊は東學黨の巨魁を捕へ水源 曩に派遣せし守備隊は一は水源、牙山を經、 全羅道咸悅、扶安、古阜、慶尙道、會寧、淸 ●東學黨の勢稍猖獗 二十五日釜山發の電報に曰く東學黨は益益跋扈
●東徒の暴行と我兵
(
て全羅道咸悅縣に至り居りしが東學黨の脅迫暴
行に逢ひ僅に虎口を免れて此頃歸り來る東徒の
首領は扶安縣古阜郡邊に在りて各地の黨員を集
め京城に進むの計畫をなせりと云ふ其目的は大
院君に意見を述ベ日本人を擊拂ふに在りと稱す
東徒鎭撫の爲め晉州に出したる我兵は多分二十
五日同地に達せしならん
(
へ預け置きしに之を奪はん爲め牢獄に追れり
との報に接し朝鮮政府我兵の援けを乞ひしに
より杉村代理公使より出兵の照會あり依て今
日午後五時仁川守備隊より二分隊を水源へ派
遣せり
テイ山まで一は竹山、珍山を經、忠州に至る
豫定なり
州等にも同黨集合したりとの報あり
(
して曩に我兵の捕獲して水源に置きし同黨員を
奪ひ去り其他竹山、牙山及び全羅道、慶尙道の
各地にも亦集合したりといふ