11月1日
●東學黨の破獄 (同上)
利川(京畿道に屬し京城に近しの獄舍に拘禁し
置きたる東學黨十餘名獄を破り逃走を企つ乃ち
看守兵悉く之を銃殺せりと云ふ
●東學黨を打拂ふ(同上)
東學黨數千名善山(慶尙道に屬し大邱の北方に
あり)附近に集合したるにより守備兵之を打拂
●大鳥前朝鮮公使の朝鮮談 (承前)
◎官吏の虛僞 驚くべきは宮內省の內幕なり女
官宦官の數蓋し三四百名に下らざるべし此等の
儕輩等しく魔力を政治舞臺に試みんとし之れがた
め▣▣は汚▣の中に埋葬せらる慨歎の至りと謂ふ
べし又開化黨(卽日本黨)と自稱する官吏等も其實
一定の見識あるにはあらず唯だ其日其日の風次第
にて云はゞ開化黨などゝ云ふ石板に依つて己が地
位を保たんとする卑劣手段に過ぎざるなり胸宇に
成竹ある者は寥寥として其數甚少し彼の義和宮
に隨行して今度日本へ渡航せし兪吉濬の如き年少
者四五名は將來望みある人物なれども目下の地位
は僅に日本の書記官位に止り手腕を政治部面に揮
ふだけの地位と威望とを有せざるなり凡そ朝鮮を
見渡すに日本人の考を以て之れが斷案を下す事能
はざるもの多し脊膸より腐敗せる彼れ韓國は內に
在りては比周引援して官吏の猜疑となり黨爭とな
り外に向つては虛言を吐き散らして自己の信用を
得んとす余の如き▣▣▣かれたる▣を知らず彼等
は余を訪ふに大院君或は何某の使なりと稱し刺を
通じて意見を吐露するなり而して其云ふ處は主公
の意見なりと云ふも其實を叩けば悉く自己の解見
に過ぎず余此の眞相を▣▣せし以來は一切使者の
言を聞かざる事に取極めたり
◎朴泳孝 朴泳孝の歸國は余が大院君を說きた
るの結果なり普通の道理より云へば朴は疾くに朝
に起つべき▣なり左るを未だ其志を果さず依然
失意の人たるは大院君と朴との間に水を注したる
者あるに依れり而して朴年▣猶少く百般の掛引甚
だ▣し▣の其間に浸入する復た宜なりと云ふべし
之を要するに朴の朝に入る能はざるは朴自か▣▣
くの▣なりと云ふも余は失當の言にあらざるを信
ずるなり昨今朴の人氣は大に減發せられたるが▣
し左れぞ朴が故國の爲めに盡さんとするの精神は
依然昔日に劣らざるを見る唯彼れは自己を處する
の道に於て幾多欠點あるを免がれざるなり夫▣朴
にして事を爲さんとせば敢て他國人の力を假▣を
須ゐず十七年變亂の同志は彼れを擁護して其運動
を助くるに充分ならん然るに彼の言常に大に▣ぎ
以て自から敵を作れり余の歸朝前一日日本人▣(
▣て朴と同行したる者)訪ひ來りて告ぐるに▣日
本へ再航せんとの決心を以てす余熟熟其拙策たる
を說示したるため彼れは令猶仁川に▣留りて▣命
を待ちつゝあり
◎韓廷我恩義を記す 日本政府が巨額の費用と
幾多の生血を濺いで朝鮮を暴淸の手より脫却せし
めんと力むる好意に對しては韓廷深くその恩に感
じ居るものゝ如し大臣余の許に來れば彼れば必ず
左の數言を以てす曰く如何にして自主獨立の實を
擧▣べき乎曰く如何にして弊制革新の道を講ずべ
き乎と、余は之に對し旣に閔族を倒し暴淸との關
係を絶ち一獨立國たる事を待たる今日何を爲して
か他の制肘を受くベき道理あらんやと敎示するを
常とせり嗚呼彼旣に自主を認めて而も自主の道を
講ずる能はず儕輩互ひに虛僞嫉妬猜疑排陷等の手
段を以て相接し相見る其能く一瀉千里革新の實效
を▣め得ざるもの一に此に存せり痛歎に耐へざる
なり (未完)