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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪每日新聞 대판매일신문
  • 기사명
    明治27年(1894) 11月 11日
  • 이미지
    prd_0137_095 ~ prd_0137_097 (283 ~ 285쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 10월 14일
일러두기

11月11日
開化黨領袖金鶴羽兇手に斃る

朝鮮政府が新內閣を組織し新制度を擧行せんとす
る改革的過渡の時代に於て日本黨開化黨の名目の
下に名聲赫赫たりし金鶴羽氏は今や果敢なくも毒
手の爲に非命の死を遂ぐるに至れり誰か朝鮮獨立
の爲め萬斛の淚を濺がざらんや

開化黨と稱せられし人物中に於て金鶴羽は其地位
第二流に見做され我が當局者等の信用も遙かに安
駉壽、趙義淵、金嘉鎭の下にありしが其才幹と云
ひ其人物と云ひ敢へて三子者に劣るべきにあらず
加之其誠意忠實なるに至りては蓋し金宏集、朴
泳孝と比するも決して遜色なしと云ふも過言にあ
らず然り金鶴羽は朝鮮人士中に於て實に得易から
ぬ人物なりしなり而して今其非命の死狀を記さゞ
るを得ざるに至りしは予の最も痛嘆する處なり

予の金鶴羽と相交はるや玆に久し余は實に氏が落
魄の當時に於て最も有爲の人物たるを認識し居り
しなり今玆七月の京城一變化の後同氏が法務協辨
の策職に上るや予は其機會を得たりしを喜びしに
未だ其功を收むる能はずして早くも隔世の人とな
る豈に金鶴羽氏の爲め哀まざるを得んや然れども
男子生れて國政改革の衝に當り反對者の憎惡する
所となりて兇手に斃る死すと雖ども餘榮あるなり
金氏若し靈あらば聊か瞑すべきなり

金鶴羽過日予に語りて曰く「朝鮮の近狀慨すべく
嘆ずべき事實に多し而して軍國機務處會議に於て
禍の其身に及ばんことを恐れて發言を難しとする
の議員殆んど充塞せり余は朝鮮改革の爲め之れを
憂ふるものなれば自家の信ずる所は必らず建議し
以て聊か其職を▣くすべし若し其等の爲め危險の
恐れあるも已むを得ざるなり」と嗚呼此言遂に兇 因となりし乎予は追想して感慨に耐ざるなり

金鶴羽の兇手に斃れたるは實に十月三十一日の夜
なりき同夜金鶴羽は其友人なる金健行及び全恒基
李某の三人と共に磚洞なる自宅に於て酒を酌みつ
つ談話中なりしに午後八時とも覺しき比一人の來
客あり面會を申入れたるを以て之れを引見せしに
其客の金鶴羽氏と禮儀を正すと同時に七八人の韓
人手に兇器を携へたる儘にて其席に闖入し遂に金
鶴羽を殺害し金健行に重傷を負はせ李某も右腕に
多少の疵を受けしと兇漢果して何者ぞ未だ其明證
を得ずと雖ども或る頑固なる老爺の使嗾に出づる
こと疑ひを要せざる所なるべし

金鶴羽兇死の報日本公使館に達するや武久警視は
巡査十四五名を引率して金氏の宅に到り同行せし
井田海軍大軍醫をして診察せしめたるも金鶴羽は
已に息絶え只身體に微溫の體熱を殘せしのみにて
最早再生の見込なかりしと云今其死體の創痕
を檢するに

右の上限窩緣より左の淚囊窩に達せしもの
(此創深く骨に達し長さ二寸五分) 一ケ所
左の耳は兩斷せらる創骨に達す 一ケ所
▣▣骨の鱗狀部より後頭骨に 二ケ所
(此創長さ三寸五分骨に達す)
左の顱頂骨より後頭骨の後頭突起まで一ケ所
(長さ六寸此傷最も重し延髓流出し居れり)
右顱頂骨に於て骨に達せし創長さ二寸二ケ所
左手の尺骨▣骨を切斷して皮膚のみ殘一ケ所
示指骨中指骨に一刀皮膚のみ係る 一ケ所

卽ち金鶴羽は九ケ所の創傷を負ひ無慘にも最期を
遂げしなり而して同氏は如何に遺憾なりしか下唇
の下に齒痕二ケ所を留め以て無念を印し居りしと
なり

金鶴羽の死するや韓人の來集せしもの皆な涕泣す
るのみにて途方に暮れ居る際我が警視、巡査の來
臨あり井田海軍大軍醫の施術ありしが到底復活の
見込なしとて同家を引揚げんとするの際金鶴羽の
妾其場に出來り(妻は江華嶋に在りて家に在らず)
哀求して已まず頻りに起死の術を請ふ渡邊巡査之
れに謂て曰く迚も回復望みなしと雖も金氏を殺害
せし兇漢は必ず之れを搜索して仇を取りて遣るべ
しと言ひしに妾は號泣して「アイコ」を連稱するこ
と其數を知らず席に在るもの皆な淚を催さゞるな
かりしと云ふ(アイコは朝鮮人の泣聲と知るべし)
金鶴羽を殺害したるものは最も銳利なる日本刀を 用ゐしと見ゆれども其加害者は全く朝鮮人にして
且つ殺害の場所に落し在りし刀鞘は朝鮮製のもの
なりしと云ふ

金鶴羽の倒れたる天井には血に染みたる刀痕七八
ケ所あり床上には鮮血淋漓とじて悽然の趣ありし
と云ふ

金仁植は金鶴羽の知人にして現今警務副使たり遭
害の當夜來訪して曰く「金氏の死實に遺憾なり我
れ職を警務に奉じ此局に至らしむ失態言ふに忍び
ざるなり」と淚に咽びつゝ語り居れりと

金鶴羽を殺害せし兇漢は其數詳かならずと雖ど
も十人なりと云ふものと八人なりと云ふものとあ
るを以て察すれば多分十人內外なりしなるべし

金鶴羽▣難の時其場に在りし金健行と李某とは負
傷し殊に金健行は其生命さへ覺束なき次第なるに
獨り全恒基のみは少しの疵をも受けず如何にも疑
はしき次第なりとて同人は目下其向の取調べを受
け居れりと云ふ

井上全權公使 井上全權公使
は去二十六日を以て京城に入れり而して翌二
十七日には外務衙門に赴きて外務大臣金允植
に面晤し廿八日は王城に入りて國王殿下に謁
見し國書捧呈を爲し二十九日は▣外國公使館
を訪問し午後二時歸館の後大院君の來訪に接
して同君を饗應し三十日には館に在りて各國
公使の來訪に接したり井上伯着京以來未だ何
等の變化を見ずと雖ども朝鮮人士中に井上伯
が國王殿下に謁見の砌り微笑したりとの一事
に就て頻りに同伯を嘆稱し居れり金嘉鎭(外
務協辨)之れを聞て曰く「井上伯の微笑は百
萬の甲兵よりも恐ろし」と金嘉鎭も亦た奇評
を加へたりと云ふべし

鳥尾將軍の來京 昨三十一日鳥尾將軍仁川より
到着し泥峴なる旅亭永喜亭に投宿す

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