12月4日 二日仁川發の電報左の如し
東徒討伐隊應援の爲め仁川より派遣したる中 十一月八九の兩日東徒數萬黃州を襲擊す我軍 目下賊は京城に上るの景況更になし
伊藤兵站司令官
●東學黨を擊破す 十九日魚隱洞發の電報に曰く 賊は約六百名にて四方へ散亂せり我兵に死傷 金州より派遣の守備兵は平山附近にありて專 魚隱洞に於て 福原兵站監
●東徒數千人を鏖殺す
(
隊は一日午前七時牙山附近に上陸直ちに黃州
に向け進みたり牙山縣の官吏竝に土民より聞
き得たる左の狀況を報じ來る
及び朝鮮兵凡そ千餘人之を擊退し數千
人を斃す其巨魁李昌休及び李▣(湃)志の
二人を殺したり目下此方面の賊は解散し牙山
より黃州及び洪州間には賊徒なく道路も亦差
支なき如し
(
黃州より載寧地方へ派遣せる半小隊は去る二
十七日同地附近に於て賊徒を擊破し十五人を
斃し五人を生擒し數多の武器彈藥を分捕り終
に載寧を占領せり
なし二十八日更に安嶽へ向はんとす
ら海州より來る賊を警戒せしが今日まで無事
なるを以て一先づ引上げしむる旨報告あり
(再錄)