12月19日 十七日午前十一時仁川發の電報に曰く
軍路調査隊の一行及び護衛として派遣せる桑原 伊藤兵站司令官
●淸州附近の東徒征伐
(
少尉の小隊は一日洛東を發し京城に向て歸る途
次六日靑山に達したるに附近に若干の暴徒あり
之を擊退す八日文義を發し淸州に着す十日同地
發の報告に據れば八日の夜文義の方向より數萬
の賊淸州に向て進み來るとの報に接し應戰の準
備を爲し九日午前愈愈彼れの前進を聞き淸州附
近の要地を守り之を擊打す敗死者二十名餘、負
傷者無數我兵死傷なし又大砲二門、火繩銃四十
挺餘、其他彈藥鎗等を分捕す賊は南方に向つて
退却す南少佐及び其部下は公州の方位に進み西
路の隊と合したるならん