12月29日
韓人鄭秉夏の義俠 舊參議鄭秉
夏氏は韓人に似合はぬ程愛國の熱
情に富む人にして過る七月日淸交
戰の始まるや狂する迄に支那人の
暴惡を憎み日本の高義に感じ奮て
其所有の滊船三隻(蒼龍號海龍號
及び顯益號)を擧げて日本義軍の
使用に供せられん事を希ひ其許し
を得るや雀躍して萬分一の義務を
盡し得たりとて人にも話し自らも
喜び居りしが其後戰爭の北方に進
むに從ひ滊船は最早不用となりた
る爲め此頃日本政府より滊船を下
げ渡し倂せて賃金二萬兩を下賜せ
んとするに同氏は毫も承服の摸樣
なく初めより▣かの義務を盡すの
精神なれば賃金に及ばずとて飽ま
で辭退して中中請取るべうもなく
日本政府も持て餘して今に其儘に
なり居ると云ふ尙ほ同氏は右の滊
船三隻を日本人某氏より讓り渡し吳れよとの懇談
を受けたるを以て現今滊船の價値頗る騰貴し居る
に係らず元價三萬二千圓にて奇麗に讓り渡し內二
千圓を周旋人に分與せんと云ひ居る由韓人には稀
なる廉潔義俠の人にこそ
東學黨の近況 慶昌、忠淸の二道を橫行して脅
掠を擅にせし東徒の消息は其後毫も聞く所なか
りしが本日同地方より達したる報に依れば稷山の
巨魁黃聖道等四名、次魁金▣日等二名、鎭川の匪魁
朴明叔等二名皆運盡きて官軍の將崔日煥の爲め
に捕へられて梟首せられ木川の匪魁崔昌奎等二名
及び公州達洞の賊主張俊煥は潛かに伏兵を設けん
として却て官軍の前率衆萬の兵を率ゐて進むに逢
ひ蒼皇狼狽して捕捉せられたり官軍獲る所の軍物
無數なりしと云ふ尙ほ韓曆十一月十五日には官軍
の將張容鎭、李斗瑾等各一方の兵を率ゐ日本
兵と三道より兵を賊巢魯城に進め盛んに砲擊を爲
し逃ぐるを追ふて論山大村高峰に至り遂に賊の屯
所を奪ひ餘賊悉く湖南の界に棄巢す此後敵を殺す
殆んど三百名、捕虜十名、得る所の軍物甚だ多か
りしと云ふ尙ほ全羅道に散在する賊の巨魁方▣準
は手もなく官軍に捕へられて梟首せられ同賊金京
學、閔丙斗、伊桂元、尹戶三等四人は各嚴棍十五
度に處せられ放逐せられたりと云ふ