1月8日 一日左水營發の電報左の如し
去十二月三十一日釜山出港翌一月一日午前左 從來全羅道中五十三營の中五十營は東徒の占 本官は來る六日頃順天攻擊の結果を認め竹林 大本營專任官 ●順天府の東徒潰散す 七日釜山發の電報に曰く
本月初め順天府果陽縣に村の役人及び人民よ 筑波艦長報
●順天府の東徒征伐
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水營入港、左水軍節度使キンテツケイ本官へ
來報に付去三十日釜山より我陸兵一中隊順天
へ向け進發の事件を通牒し尙順天攻擊東徒鎭
定の方法等を協議せり其結果に依り今二日午
前左水營より中軍新⊙及びチウレイセウ、ク
ワクケンクワン韓兵百名を指揮して海路河東
に發向す我陸兵を出迎ひ且明三日中にレイク
ワン、リシウクワイ韓兵六百名を指揮して陸
路順天街道シンゼウホへ向け出發して來る六
日迄我陸軍へ結合し順天城攻擊の筈に候目
下東徒首領は專ら順天城に屯集して十二邑
の東徒を守護中に有之候間未だ順天城より
左水營等は進擊に至らず
領する所となる殘三營左水營羅州及び雲鳳は
東徒に與せず依て目下東徒の名簿に列する者
は百萬餘人にも相成るべく候間東徒の首領等
は格別其他下等の愚民に對して成るべく歸順
反正の方法を解說せざるを得ざる場合に相成
候に付文明國の例に準じ昨一日左水營節度使
囚獄に在りし東徒二十人中三人の婦人を宣誓
の上解放し斬罪を免じたり殊に日本朝鮮に對
する好意及び我筑波艦の東徒に對する仁愛の
旨趣を說明して後東徒中に排逐せり
浦を經て釜山へ廻航の見込なり尤も竹林浦へ
は測量員の外大尉一名少尉二名下士以下二十
餘名を航し置き候依て此旨報告す
筑波艦長 黑岡帶刀
大本營宛
(
り東徒の巨魁金仁買、劉家德、鄭愚奎以下を殺
して左水營に降伏謝罪を乞ふ筑波の分遣隊は
五日果陽に上陸して金仁買劉家德の首級を實
檢せり左水營の韓兵五百名順天府に赴けり目
下東徒は首領を失ひ四方に散亂せり