1月14日 去三日本艦の斥候にて間牒の嫌疑者として左水 黑岡筑波艦長 本年一月五日軍艦筑波は全羅道光陽縣沖錨地よ 陵湖、太接主、金仁培、靈虎首、薛首、劉夏德(此二
●東徒征討報告
(
營へ連れ來りたる鄭撑元を左水營にて小官の面
前にて金節度使自ら審問せしに去一日の夜順天
府の東徒其首領を殺し他府縣の東徒を放逐せし
に付鄭撑元も脫走せしものなりとの事分明した
り又東徒は左水營にて日本軍艦と衛兵と聯合し
て順天を攻擊すと聞き▣きて斯く分離せしなら
んと同人陳述せり依て去三日本艦斥候は順天光
陽より來れる使者の書面をも事實なるを確認せ
り左れども金節度使より東徒は是迄國王より數
回の勅諭を下せしも服從せず今回突然恭順を
表するとも輕輕しく信じ難きを以て本艦へ東徒
鎭定の助力を請求せり▣に四日左水營より河東
沖を經て光陽沖へ回航し五日早朝より猫嶋錨地
を距る約そ二海里なる下浦に本艦分遣隊を上陸
せしめ(三浦大尉高木少尉之を指揮す)偵察を行
ひつゝ光陽城に赴かしむ且田中少尉をして分
隊を指揮し途中まで送り本艦と連絡を取らしめ
たり反正里尹及び人民は市外に朝鮮樂隊を送り
先導せしめて城中に招き一同恭順の意を表し
賊の首級等を實檢に供したり而して民砲(壯兵)
千六百人を集め月浦に向はしめて東徒を追捕中
なることを陳述せり過日釜山より順天に向ひた
る我一中隊及び左水營南海縣を經て河東府に至
り我陸軍に結合したる百人の官兵は五日午後ま
で光陽縣に達せず是れ右諸隊は月浦の東徒と交
戰したる爲めならんと思考す新城浦にて我陸軍
を待居たる李周會が指揮せる五百餘の官兵も單
獨にて順天府に行軍したる由右の如く順天方面
の形勢一變したるを以て當艦は一先づ竹林浦に
回航し且つ釜山へ投錨し銳意善後の方略計畫
中なり右謹しんで報告ず
大本營宛
り同縣城に分遣隊を派遣し左の東徒首級及び屍
體を實檢したり
人は梟首しあり)朴孝成は銃殺しあり金可外四
人は縛しありたり (以上四件再錄)