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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
大阪每日新聞 대판매일신문
  • 기사명
    明治28年(1895) 1月 23日
  • 이미지
    prd_0137_124 ~ prd_0137_125 (312 ~ 313쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 12월 28일
일러두기

1月23日

奏請と裁可 國王は大君主陛下と稱
して國政を裁斷し議政府は內閣と稱して行政の責
に當ることゝなり玆に初めて政府の形式を具へた
るより國事は總理大臣若ぐは當局大臣より奏請し
て大君主の裁可を經る事とはなりぬ今其一例を示
す左の如し此四件は是れ昨日金總理大臣より奏請
して裁可を經たる者なり

一 湖南地方東徒の據て暴亂したる地方に勘査
員を派し道師臣及び地方官の功罪を取調べ又遭
難者賑濟の方策を講ずる事

二 全羅監司李道宰の具申に據るに賊魁金介男
を捕獲したる心營の將卒褒奬の典を請ふと云
ふ全體は賊平ぐの後功を論ずべきなれど兼て懸
賞して捕獲せしめたる事なれば政府は其威信を
保たんが爲め度支衙門をして一萬兩を支出せし
め以て應募の諸人に分給して將來を激勸する事

三 江陵淳昌雲峰等の地方に於て剿賊の功勞
ありたる者は今に褒賞すべき筈なれども須く班
師の後を待て一體に功を論じ賞を行ふ事

四 擒獲したる金介男は京師に於て法に照すべ
きを命を待たずして途中に梟首す奪回せらるゝ
の虞ありしが爲めならんとは云へ專斷の責免る
べからず全羅監司李道宰に施すに越年二等の典
を以てする事

京仁京元兩鐵道 京仁鐵道は來月十一日の紀元
節を卜して起工式を擧ぐる筈、又京城元山間に鐵
道を布設すべしとの論起り兎に角踏査を爲すこと
となり仙石技師の一行は去十日京城を出發したり

齋藤修一郞氏と魚允中氏 齋藤氏は大同江口の
鎭南溝開港に關し再調査の爲め去九日京城を出發
せり度支大臣魚允中も亦同港の實地視察と同所輕
便鐵道布設工事視察の爲め去十二日出張せり魚
氏は內閣大臣中最も頑剛の人にして井上公使とも
屢屢激論に及びたる程なり然るに日本より人力車
の輸入あるや他大臣は依然與にて登閣するにも拘
らず獨り人力車にて登閣し始めたるは殆んど不思
議なり

韓兵勇にして能く戰ふ 曩に日本士官三名、下
士三十名、韓兵一中隊と共に全羅道東徒を伐つ此
役や韓兵の能く士官の命に服し一擧一動日本語の 號令に從て進退し危急の時と雖ども敢然勇鬪して
退くことなかりしは他韓人の柔惰なるに似ず往往
此韓兵の手に依て賊魁を捕獲することありしと云

故金鶴羽氏 は剛直にして氣慨ありしのみなら
ず日淸韓三國語及び事理に通ずるの名士なりけり
彼は實に日本にては穢多とも云ふべき平民の腹に
宿り朝鮮の政略上官人となるべからざる咸鏡道
の家に生れ常例にては決して出來得ざる協辨の官
に昇る其非凡の人物たる以て知るべし朝鮮改革の
如きも多望を此人に屬したるなり左れば我公使の
國王に謁見したる時の如き其通辯となりて國政改
革の事を奏し殊に言王妃の上に及びたる時の如き
更に一人の通辯を加へて其證人となし諤諤たる我
公使の言を取次ぎたりと云ふ而して終に劍客の爲
に暗殺せられたる前報の如し其暗殺使嗾者の如き
以て察するを得べきか

因に記す咸鏡平安の二道は滿州に接近し居るを
以て此二道に高位官の者ある時は滿人と共謀し
て王位を窺ふに至らんことを患ひ此二道の人に
就官を赦さず又松都の人士も此二道の如し松都
は前王朝の都なりしを以て此地の者高官となる
時は現朝顚覆を計るならんとの患あるによる

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