2月1日 三十日魚隱洞發の電報左の如し
去二十日鳳山より派遣したる中山少尉の部隊 昨三十日殷栗にて東徒の首領株四 今黃海道の東徒は多く長淵に集合し一部は載 右に付き山中中尉の兵に當地守備隊の中より 殷栗東徒の首領以下を當地に拘留し訊問中な 熊谷兵站司令官
鄭蘭敎氏の遭難 朴氏同志の一人たる氏は 巨魁の首實見 先に逮捕せられたる東學黨
●黃海道の東徒(
は松禾に於て東徒五百餘に逢ひ苦戰一時間餘
にして賊二人を傷け擊攘せり分▣品は銃五十
挺、鎗五本、旗三旈、其他書類
人を捕縛し火藥五百二十斤、銃二
百五十挺及び鎗、刀、書類を分捕りす
寧、鳳山の間なる銀波に集合し居るが如し海
州の方面は目下靜穩に歸したる旨山中中尉よ
り報告あり
二分隊を加へ二十七日殷栗、松禾を經、長淵
に中山中尉をして海州より逢んで長淵に向は
しめ夾擊して强硬に討伐し再燃の虞なからし
むるを目的とせり又銀波の方面は先づ韓兵を
以て當らしめ確報を得たる後討伐に着手する
考へなり又何れの隊にも偵察と警戒とを確實
にし兵を徒勞に屬せしめざる樣訓令せり
り
歸朝後專ら東徒征伐にのみ汲汲として忠淸全羅兩
道に轉戰し居りしが此頃歸京し一昨昨夜弟鄭完敎
氏と勳洞を通行する際東徒の要擊する所となり輕
傷を負ひたりと云ふ但し兇行者は鄭完敎氏取て押
へ直ちに法務衙門に引渡したりと
の巨魁崔在浩、安敎善の二人は一昨昨日斬罪に處
せられ三日間梟首の旨聞えたるを以て本日梟首の
實見を爲したり梟首の場所は西大門と南大門の中
間に在る昭義門外磐石坊と云ふ處にして人家稠密、
通行頻繁なる市街の中央に番人もなく榜示もな
く所謂遣りつ放しにて例の三本の少さなる木枝を
三叉に結び頭髮を苧繩にて括り之を下げたり就て
見るに乾燥したる血痕斑斑たる間に靑凄き顔色を
顯はし鈍刀を以て數回に叩き切りたる形跡は兩耳
の下邊りに幾數の片肉と階段とを顯すを以て徵す
べく頭髮及び顔面に土と塵の附着しあるは斬殺の
際大地に躪り付けたるを想見すべし一種の異臭は
鼻を衝いて紛紛たり往來の男女、近隣の兒童は日
頃見馴れたるものと見え最も平氣に打興じて遊び
戲れ却て余等日本人が熟視するを見て面白がり自
己愛着の翫弄品でも見するかの如く大に余等の歡
心を迎ふるの摸樣あり安敎善は凡庸の相を示すも
崔在浩は隆準にして眉宇昂り眠るが如き相貌の外
に怨を九天に訴ふるの容を顯はしたり我邦の刑法
學者之を見ば善隣の友邦に尙此の慘刑酷罰あるを
痛嘆すべし