2月9日 全羅道南部の東徒鎭壓の報告(要略)
釜山兵站兼碇泊場司令官伊津野千里
(第四中隊長鈴木大尉の報告)十日安樂郡を發し 進みて波音驛に至り舍營す暫くしてリシウクワ 日本軍及び韓軍の一部は去る八日長興府に向ひ 十一日早朝波音驛を發し長興府に向ふ途にて中 十二日次の報を得
過日長興附近に戰ひ敗走せる東徒多く當郡の各 十三日當郡の南方約一里半の村落フシユンドウ 又同夜左の報を得
當郡の東方二里の海倉山に東徒百名屯集すと 十五日當郡の四國に下士斥候六組を派遣し五十 去る十三日長興へ派遣せる斥候と遼州より來る 共同中隊はチクセンドウ附近にて三四百の敵を 京城の韓兵八百餘名逃退の跡を追ひ來り更に遼 當中隊はテウニウ、コウシンを經海南地方に向 一月十五日全羅道鳳城郡
第四中隊長 鈴木大尉
●全羅道の東徒征伐
(
波音驛に向ふ鳥城院を過ぎんとする際東徒陽に
良民を襲ひ我軍を迎ふ其擧動怪むべき者あり捕
へて糺せば▣して東徒の惡計なり韓兵をして直
ちに刑に應せしむ卽ち五元基を梟首し外八名を
砲殺す
イ(李豐榮の別名)次の報をなす
同府の北約二里の地に戰ひ大に之を破り死者山
をなす
道附近東徒頗る多きを聞知し遂に鳳城郡に舍營
に決し同郡の南方約二里なる五柳村に東徒巨魁
以下二十餘名蟄伏すと聞き直に木下少尉を差遣
せしに已に逃走して居らず嫌疑者八名を縛し內
五名を放還す三名は巨魁の父なるを以て暫く囚
す
所に籠れりと依て中▣を止め▣ら四周を搜索せ
しむ
に東徒五十餘名又北方約一里なるヨカ村に百餘
名屯集すと依て藤阪少尉はヨカ村に庄野特務曹
長をフシユンドウに若干兵を附し擊たしむ兩面
の敵已に逃れてフシユンドウに七名の東徒及び
七名の嫌疑者を縛す
十四日、昨夜の報に據り中隊を率ゐ海倉山に向
ふ彼我進軍を聞き昨夜四散して在らず僅に十一
名を捕縛す山上に將に落成せんとする家屋四個
を發見す悉く燒かしむ
一名を捕縛す
斥候及び楠野少尉の報に十九大隊第一二中隊及
び十八大隊白木中尉の率うる共同中隊連合して
三面より南面方面に進擊しつゝあり第二中隊は
進みてコウツ海南の殘徒を攻擊する計畫なり楠
野少尉の書に同地方は漸次鎭靜の摸樣なりと
相擊破せり
州に向け出發せり
はんと欲せしも同地方は漸次鎭靜の報あり又當
郡郡守以下の官吏に嫌疑少からざるに付當分滯
在し探偵の積りなり
大隊長今橋少佐宛