3月2日
日本人殺さる 四五日前日本商人三名と朝鮮人
四名と黃海道海城府を距る三里の地に於て殺害さ
れたり二人の日本人は兄弟にして姓を川崎と呼び
京城なる第一銀行の小使を勤め居りたる者の由、
他の一人は明かならざれど此三人は商品を馬七頭
に積み平安道に向て出發したる途中殺害されたる
ものなりと云ふ殺害者は不良民なるべしとの事な
れど目下取調中なり
崔時浩愈よ死す 東學黨の巨魁崔時浩は曩に慶
尙道にて我軍の爲に誅せられたりとの說ありしが
確むるに由なくして今日まで過來れり然るに此頃
捕虜の言により愈よ崔時浩の誅に就きたること明
白となれりと云ふ
東學黨巨魁の捕縛 曩に全羅道に於て新王國を
建設し久しく良民を惱したる東學黨の巨魁全琫
準、崔慶泰外七名は今や捕れて京城に在り領事館
にて治療を受けつゝあり全琫準の傷は足部貫通創
にして頗る重體なれば生命覺束なかるべしと云ぶ
右就縛者の姓名は左の如し
全琫準 崔慶泰 洪洛寬 朴鳳陽 孫化忠
金邦湍 高順宅 權豐植 金德明