釜山大本營の動靜
京城の梁山泊、事情の爲めに陷落して以來、釜山は正に彼等一黨に向つて、中央大本
部の形勢を成せり。彼等揚揚然として玆に地步を占め、暫く詩酒の間に優遊して
多年の覇氣を韜晦するものゝ如し、去れど慶尙一道の山河は、猶ほ彼等が平生無事
の日の爲めに練武の好場たるを免れず。旣にして咸安に事あれば、彼等直ちに馳
せて之を探細し、金海に亂あれば亦行きて其革命の導火たるや否を究め、頃刻と雖
も彼等が大任とする所に至つては則ち盡さゞる所なし、彼等も亦勞せりと言ふべ
し。然るに今や彼等が待に待つたる千載の一時は來れり。湖南の風雲は日一日
より嶮惡にして、出討の官兵旗を卷て走り、連城連邑、東學の占むる所とならざるな
く、嶺南の地亦其山郡一帶を侵略せられんとす、形勢頗る危急に瀕せり、彼等豈に踴
躍して此好機に投ぜざらんや。曾謁謙倉源右府墓、我欲征大明汝諾否、大
丈夫當用武萬里外、何爲鬱鬱老小洲、彼等が酒を被つて連日連夜口吟する
處は卽ち是れ、今に至り躊躇し逡巡して其平生の所期に乖くが如きは、彼等斷じて
之を爲すべきにあらざるな