金山襲擊の議を定む
午前七時、一行十一人、裝を整へ馬を勒し、肅肅然として、馬山浦の街頭を練り去れり。
行くこと二里許、道は釜山の會路に當る、一行は玆に留まつて晝食の用意をなせり、
蓋し約あり大崎の後進隊を此處に待てるものなり。飯事旣に終る、一行の人溪水
に行きて浴するあり、緣蔭に就きて午眠を貪るあり、鈴木は槐樹に攀ぢて枝上に三
國史を繙き、吉倉は緣蔭を求めて涼處に子史精華を讀む、就中快活なるは急先鋒の
內田が大力肥滿の韓人を追窮して、炎暑を意とせず、自家の柔道を實地に試めさん
とするなり。待つこと多時、大崎の一行は竟に到らず、或は云ふ是れ必ず何者かの
故障の爲めに大事を誤まれるならん、吾徒は悠悠として空く之を待つべからず、須
らく先づ進んで昌原の金山を襲ふべし機後るれば吾徒亦爲す所なきに終らんと。
衆議之に同じ、又行を急ぎ、乃ち金山を指して馳る、旣に此處に達したる頃は、暮靄全
く四山を密閉し、荒亭の燈光、溪間の砧響、夜は漸く深深として、犬聲空く行人を脅か
すあるのみ。