三士の勇山淸の太守を服す
馬夫の處分旣に終る、一行乃ち槐蔭より出でゝ半ば馬に上り半ば徒行して進む、旣
にして山淸縣城に達し、一客舍に就て晝飯の用意を爲さしむ、此地の形勢を察する
に縣民亦晉州の傳檄を受けたるものゝ如く、彼處に一群、此處に一團、相評議して一
行に對する處置法を決せんとし、時に間細を放つて其動靜を探索する模樣あり、縣
衙亦官兵を糾合し城より討て出でゝ迎へ戰はんとするの風說を傳へ來る。此時
一行朝來の疲勞に依つて復た健鬪するの餘勇なし故に眼前の危害を避くるの途
は唯機に先ちて此地を走るの外あるべからず、然れども本來韓人の性、少しく敵に
弱所あるを發見する時は、驕氣忽ち滿身、得得として之に乘ずるの風あり乃ち走る
者も亦必ず追跡を免れず、其一行に利あらざるは去留皆一なり。是に於て吉倉奮
然衆に謂て曰く、凡そ將を獲んとするものは先づ其馬を射る、此際縣民を壓倒する
の第一策は、必ずや其太守を擒にするに在り、諸公姑く此處に在つて午眠せよ、我れ
其時間を利し、縣衙を冒して聊か試むる所あるべしと言ひ終り、驀地客舍を出で、走
つて直ちに縣衙の門前に至る、門衛誰何す、吉倉顧みずして進む四五の守卒あり力
を盡して又之を沮まんとす、然れども吉倉の身旣に入つて衙庭に在り、眼を放つて
前面を望めば、太守威容嚴然、殿上に安坐し、坐首吏房の輩侍して之が左右に立ち、庭
上には一個の囚人、頸脚に桎梏を附せられ、哀號して冤罪を辨疏するものゝ如し正
に是れ太守が斷訟糺問の最中なるを知るに足る、吉倉乃ち少く退きて其閉廷を促
がさんとす、內田、大原次で到り、此狀を見、叫んで曰く、機を失すれば太守を逸せん、是
れ我が黨の大事なり、若かず直ちに亂入して彼れを一攫し去らんにはと、三人乃ち
均しく法廷を侵して進み、殿に登て急に太守に迫る、左右之を拒まんとするもの多
し、三人大喝して之を去らしむ、太守恐怖、走つて別殿に入る、三人追ふて之に及び聲
を激まし謂つて曰く、吾黨十一人、曾て貴邦に對して害意を挾めるもの莫し、然るに
沿道連邑、皆我黨の行路を妨げんとして徒らに騷擾し、貴縣の官民亦將に之に倣は
んとする所あり、我其何の爲たるを知らず、而して今や其事旣に急なり、我徒乃ち一
行に代り、特に此處に來つて貴下を生擒して去り、以て貴縣下行陣の安を計らんと
欲す、貴下にして吾徒の言ふ所を容れて生擒たるを肯んぜば則ち可なり、若し夫れ
然らずんば咫尺の間、貴下の首級は吾徒の手に在り、乞ふ貴下速かに自ら決する所
あれと。太守聞き來り、顔色俄かに靑蒼、心驚き、身戰くの狀、歷歷見る可し、之を暫く
して心氣稍稍平常に復す、乃ち三士を顧み、陳謝して曰く、鄙官決して諸賢を敵とす
るの意なし、唯頃日晉州の羽檄の四方に飛傳するものあり、鄙官等本と右道兵使號
令の下に進退すべき者今其命を奉ずるは情誠に止むを得ざるに出づ、乞ふ諸賢の
其罪を恕せられんことを、或は兵民の暴擧に依つて諸賢の行陣を妨るの虞あらば
鄙官且つ自ら出で、諸賢の爲めに其衆を慰撫解散せん、諸賢之を許や何如と。三士
の太守を生擒せんと欲する、其志す所、亦一に危嶮を避くるに在り、是に於て太守の
請ふ所の甚だ穩當の手段たるを思ひ、相提へて兵民聚屯の所に到り、太守をして力
を盡して兵民に諭告する所あらしむ、太守旣に威迫の爲めに初志を變ぜること彼
の如し、兵民は乃ち唯唯諾諾、其上令を奉ずるは流の低所に就くに異ならず、一行終
に事なくして山淸縣城を去るを得たり