瀛洲閣上に三士羽檄を草す
同人が百般の準備に其心を奪はれ居る間に、吉倉、鈴木、武田の三人は初見參の際、東
學軍に與ふべき一篇の檄文を草し、我が一行が何の故に遠く此地に來つて其陣營
を叩かんとするかを知らしめんと欲す、卽ち閑靜無人の場所を尋ねて廣寒樓後蓮
池中の一小島に至り、爰に所謂る瀛洲閣なる一小亭あるを發見す、三士乃ち閣中に
進み二三詩客の島上に吟臥せる者を叱咜逐斥し、而る後鈴木は復た階を下り、其雙
腕の力を奮つて架橋を撤去し、全然韓人の來り窺んとするものを遮斷せり、於是乎
此一小島は最早朝鮮の主權を離れて、三個日本士人の掌裏に占領されたりと云ふ
も不可なき也、
閣は其造りこそ稍や粗末にして、狹小なるに似たれ、去れど其池に臨み紅蓮を抱き
閑雅の趣味津津たるに至つては、我が西京鹿苑院金閣寺にも讓らざるものあり、否
其名旣に題して瀛洲閣と云ふ、地の仙境に近きものある固より其の所なり、眼を放
て四壁を望めば、二十四孝の圖は極めて古風なる色彩の下に畵かれたり、而して其の
筆力たる、尋常にして言ふに足らずと雖も、孔孟の遺敎は尙ほ其の形骸を此間に留
めたるを見る、三士優優として閣中に安坐し、波上の淸風に暑熱を忘れ、筆を執つて
靜に紙面に對すれば、折抦の蓮花水を涉て香を送り來り、仙風習習として卓邊に迷
ふを見る、