逃亡官人漸次に歸來す
黨軍旣に玉果に去つて後、天佑俠の諸豪傑は尙暫く淳昌の陣營に留まれり、日は漸
にして黃昏なり、此時恰も郡衙の坐首、吏房等の各官人、前後相次ぎて恐る恐る俠徒
の前に伺候し來る、俠徒の淳昌に在るや、旣に久し、而も其官人と相見ゆるは實に之
を以て初めと爲す何となれば彼等は黨軍の來襲に先立ち、風聲鶴唳の間に倉皇と
して何處にか遁散し、此夕黨軍の遠く去りたることを確め得るに及び、心氣始めて
平生に復し、遽かに其舊衙に返りたる者なれば也、然るに郡衙の正殿には尙ほ戎裝
せる日客十餘名の威風凜然として存留するあり、彼等は本來怯懦を以て性を成す、
如何んぞ意中未だ測るべからざる日客と突然相會するに方り、平易に之を處置す
るの道を知んや、乃ち一般韓人が常に爲す所に倣ひ、何の思慮も無く、茫然其前に進
み出で、對談の間に巨細の摸樣を探らんとは欲せる也、彼等は遠客接待の禮と稱し、
官童に命じて夥しく酒肴を取り寄せしめ、頻に之を俠徒に侑めて其顔色を伺はん
とし、且つ曰ふ、黨軍の玆に淹留するや其士卒數千人に給すべき日日の食糧、物品、衣
類は皆之を我吏房より出給せしめ而かも其去るに臨みて、郡衙所藏の銃器四十挺
を奪ひ去れり、彼等が連邑を巡歷するは其目的一に兵糧と兵器とにあり、嗚呼黨
軍旣に和を京軍と約し、而る後尙ほ往き掛けの馱賃に、途すがら此の如く官銃を略
奪す、其官糧を掠むるは民財を犯さゞらんが爲めの唯一の手段として猶ほ恕すべ
し、兵器を取るに至つては卽ち是れ野心なき者の決して爲すを得ざる所、彼は實に
京城政府に對して、我慢すべからざる滿腹の不平を抱けり、彼旣に此の如きの不平
あり、何ぞ便宜的一時の媾和の爲めに、其年來の素願たる開南國王旣位の大準備を
忘るべけんや