東學黨
⊙東學黨 內藤恥臾-丸山作樂-日本人一派-
蓮門敎を巧に混化せば、東學黨の好見本を得ぺしとは、
遠からずと雖も中らずと、定義する者あり、人をして
覺えず一噱を發せしむ、妙語言と謂ふべし。革變の時期
を經過し來れる我れより、島國を傍觀せば、かかる冷
評も讀者の一噱を博得する價直はたしかに之あらん、
三十年前を回顧せば、革變の氣運を左右する者、我の
東學黨にあらざりしと謂ふことを得ず、其の時に當り
て、今の卓見家は或は俗論家として指斥せらるること
まかりしか。東學黨果して輕ずべさか、其の卑劣陰曆
を道ふ者あり、維新前の▣夷黨も亦足利將軍木像の首
を刎わ、暗刺虛喝を行て得得たりしにあらずや、是の
如さ黨派、果して革變の一大刺擊たらは、其の國運の
利たることましと謂ふべからず。蓋し隣▣の未た振は
さるは、其の變動の潮勢、一般人心に浹洽せざるを大
原因とすへし、沈滯とは此の現象に名くる者とす、今
東南三道已に動かは、延て天下に及ぶこと難しとせざ
る者あらん、三道果して雞林の水戶たる能はざるか、
目を刮して之を視ん。 (蠡測生投)