○暴氏 抑も今回朝鮮全羅道一帶の地に暴民蜂起して幾多の騷亂を惹
き起すに至りたる事の起りを尋ぬるに全く人民の積忿の餘に
出でたるものにして殊に今日に始まりたるものにはあらざる
べしと雖先づ主として此等の暴民の言ふところを聞くに元來
全羅道古阜郡の地は去秋收獲の當時殊の外豐作なりしにも關
はらず郡守たる趙隷甲は俄に其配下の者に命して防穀令を布
き米穀の賣買を禁止せり人民一同奇異の思に暮せしが其後趙
隷甲は已れの呃近の者に命し米穀數千石を買收せしめ以て相
場の變動上より意外の奇利を博したることあり加之租米徵收
の節に當りては人民の辛苦を思はず苛求貪斂飽くことを知ら
ざるの貪慾漢なりしかば人民は其非義非道なるを鳴らさゝる
ものなく加へて此頃に至り貢米運送事業のため利運社の起り
しより定規の貢米を督促するのみならず船舶修繕費及び碇泊
費等の外朝鮮帆船と運賃との差金まで倂せて之を取立し等種
種なる事情よりして人民の不平は益益積り遂に三三五五各各
隊をなし地方廳に迫るに至りたるの時に際し左なきだに何に
か事あれかし好き場合にても出で來れかしと腕を擦りて俟ち
に俟るつゝありたりし韓廷の現政に不平黨の一旗幟を建てた
る彼の東學派の連中は古阜に於る暴民の蜂起を▣▣▣▣▣
ふべからずとなし自黨員の一人が縛に就きたるの當時拷問苛
責せられたりといふを口實とし突然各地の黨員に檄し黨中の
壯丁を集合して右の暴動に合倂するに至りしより遂に今回の
如き一大勢力を形造るに至りたるなりされば最初は亂民主と
なり東學派は客の地位たるか如きの有樣なりしも其後氣焰益
益盛なるに從ひ形勢一變して東學派主動の位地に立ち今日に
至りては全然東學派の反亂と稱する方至當なるものゝ如し