地方官の逃走
韓曆甲午正月十日(我二月十五日)を以て暴民の一群は郡守の城
門に闖入せんとするの計畵ある由を聞き古阜郡守趙秉甲は之
を偵知し單身にて遁逃し中途より服裝を變し晝伏夜行し僅に
身を以て全州監營に投ずることを得たり此の事世間に傳りて
より三四の地方官は脆くも敵の毒刃に▣(倒)れたりとの訛言は▣
なくも幾多臆病神に取り付かれたる朝鮮官吏の肝膽をして寒
からしめしよ腰拔け無腸の地方官等は大に狼狽し東西申合せ
たる如く事の實否を聞も定めず孰れも若干の財貨を腰に附け
妻子眷族を引き纏め逸早くも己が身をば何國にか隱したり長
官にして旣に此の如くなれば其下屬寮の面面我先きにと衙門
內の財貨を懷中にし一人減じ二人去り斯くして次第次第に逃
遁し官衙は全く明渡しの姿となり反徒の爲めには進退驅引と
も自由自在にして却て戰の相手を失ひ無事に苦むの有樣なれ
ば思ひ思ひに官衙に押寄せ軍器糧食等手當り次第に分捕し氣
焰一層の强大を加へたりといふ風聲鶴唳を聞て大軍の進擧と
疑ひ山上の草木を見て敵兵の群集と思ひ一戰にも及ばずして
軍隊の潰散したる昔にも劣りたる朝鮮官吏の現狀笑止にも又
哀れなる次第なり