○全羅に於る東學黨
古阜を根據の地と定めてより黨與の集合するもの已に數萬人
に及び崔法軒之れが首魁となり慶尙道安東府の住人鄭母なる
もの軍師の任に當り黨衆を指揮し井然として秩序あり用意全
く整ふ此に於てか部署を定め侵略の方策を廻らし先づ西の方
扶安の地に突入して吏校を殺し縣監を縛し軍庫を奪ひ兵器を
掠め錢穀を分捕し更に東に進み全州を圍み官軍死力を出して
防戰せしにも拘はらず遂に之を退けて城兵を走らしむること
二十餘里に及び銳鋒は更に南に向ひ井邑茂長等の地に闖入し
官舍を破毁し吏員を
る囚人を放ち連戰連勝至るところ敵の杭するもなく凱歌を謠
ふて古阜の根城に退く等其の擧動頗る機敏にして近傍各地方
官は一戰にも及ばずして先づ妻子眷族を引纏め財寶を懷にし
倉皇影を潛め甚しきは身飜て賊徙遂
ずといふ噫君の士に生れ君の祿を食むの官吏にして其國の危
殆に臨みて敢て一身を捧げて君の爲に盡すことを思はす惟に
一身一家の保安を謀るもの之れ朝鮮官吏の常態なり吾人常に
聞く朝鮮官吏の一事を起し一業を爲すは敢て官のためになす
にあらずして私のためになすなりと抑も一國の獨立は綱紀肅
否の如何にあつて存す法如何に善美を盡すと雖綱紀肅正なら
されば徒法のみ死制のみ其治に於て何の益かあらんや噫