○礪山の戰況
礪山は全羅忠淸兩道の境界にして府治のあるところたり韓曆
三月二十八日は今回騷亂に於る官賊の兩軍第一回の開戰日な
るが全州監營にては前日來大に探偵を放ちて東學黨の擧動に
つき祕密に其の動靜を探りをりしが東學黨の鋒銳中中當る
べくも見へず殊に今にも本營までも押寄せん勢を認めたれば
急報を以て一方には京城に强請し親軍の援兵を乞ひ且つ負商
褓商等(平時行商となり戰時兵士たるもの)に通文を發し寄集來
援せしめ之に本營に備へある兵員若干を加へ戰の用意を整へ
待ちつゝありしが宛も好し礪山の領內に身て突然東學黨と出
會し兩軍暫し戰を交へしが東學黨にては未だ充分の用意なく
突然の際に起りたる事なりしかば遂に官兵のために打くづさ
れ古阜に引歸せしかば結局此の第一戰には官兵の勝利に歸し
たりしが此れ全く負商及び褓商等の力なりといふ