○白山の交戰
蠣山の第一戰に於て東學派の敗走は端なくも大に同黨を刺激
せしものと見へ益益其燃度を增したるものゝ如し而して韓曆
四月二日は卽ち第二回の接戰日にして東學黨の氣焰をして一
屑の强猛に至らしめたり卽ち東學派は白山の嶮峻に據守し官
軍は其の前面に陣營を張りしが暗夜三更と覺しき頃官兵大擧
して東派の要衝を突かんとせり東派は豫て期したる事なれば
官兵の追ひ來るまゝに逃走の狀を示し其敗軍の摸樣をなしつ
ゝ十數丁の所まで逃げ延びければ官兵は此機失ふベからずと
なし眞の敗走と心得圖に乘り何處までもと追行きたり東學黨
は充分その計略の當りたるを喜び時を計りて相圖をなせしか
ば忽ち左右及後部の三方より黨衆大に起り吶喊の聲天地を動
すばかりにて無二無三に官兵の中に斬り入りければ今まで敗
走の形を襲ひつゝありたる東派の一隊もまた引返したりけれ
ば官兵今や四方に敵軍を受け周章狼狽如何ともすること能は
ず恰も囊中の鼠の如くなすべきの術なく散散に切り立てられ
大半反徒