○韓廷の恐慌
全羅に於る東學黨の勢力益益猖獗を極め民人の附加するもの
數萬の多きに及び官兵切りに敗れ全羅の一道到底支へ難しと
の急報踵を續て到るも悠悠閑閑たるの韓廷左程の事とも思は
ず督促夫を射るが如くなるに及んで始めて事態の容易ならざ
るを知り征討の師を出すに至りたるも韓廷の內心に於ては征
討軍の到着せらざる內に鎭定すべしとは殊に賴みにしつゝあ
りたるところなるが此賴みも空しく韓廷の意想外に出づるも
のあらんとは昨年初夏の頃一たび騷動を極めたる東學黨は一
片の論旨と魚允中の按撫とによりて終に解散せしものなれば
今回もまた其例に據り說諭を以て鎭撫せんとしたるも毫も其
の效なかりしは政府の意外に感したるところなりまた俄令ひ
說諭にて服從することなきも八百の征討大軍一たび其地に至
らば彼等烏合の徒風を望で潰亂すべしと想の外敢て恐るゝの
色なく却て倍倍暴威を逞すること是れ政府の意外に感したる
ところなり暴民の進退擧措凜然して秩序あり隊伍森然犯すべ
からざるの風ありて賴みに賴みたりし征討軍中其の一半は戰
はずして賊軍に降り殘りの內にて脫走し若しくは行衛知れざ
るもの等日日相生じ軍氣大に沮喪し臾
督より乞ふの書韓廷に達するや其意外なるに驚き廟堂愕然閔
泳駿を始め諸大臣等は何れも額を鍾めて討賊の評議に腦漿を
絞り居るは亦た是非もなき次第といふべし