○貢米東學黨の有となる
朝鮮八道中全羅地方は米の産出最も多く政府の租稅は大槪穀
物を以て上納する慣例にして每年春期より初夏の候に至るの
間は恰も此貢米の時節なれば左水營右水營木浦古今島群山の
諸港に寄り集まりたる貢米の數量は隨分夥多なるものなるが
之れを回漕せんがため漢陽號にて出張したる運轉委員金悳容
は東學黨のために生擒せられ群山一港の外は悉く敵のために
貢米を掠奪せられたり且つ是より先き韓曆四月一日古阜を距
る二里餘なる竹山浦と稱する地より流に添ふて新倉津に至る
べき河船十五艘は何れも貢米五六十俵を積載せしものなるが
東學黨は悉く之を掠奪せりされば賊軍は糧食充分にして此上
幾十日を經るも先づ當分糧食の缺乏する憂なきは東學黨にと
りては一層の强みを加へたるべしといふ