○金世豐の子姪賊に投す
東學黨蜂起の際に當りて內應をなしたりとの事發覺し誅戮せ
られたる金世豐の子姪等一家十餘名は全州南門樓に一書を揭
け遁走して東學黨に投▣たりといふ今其書の大要を見るに實
左の如しといふ
方今の事務徒らに坐して死を待つの時にあらず近頃所謂執
權の大臣なるもの皆閔を以て姓となし閔家に非らざれば人
にあらざるが如く終夜滿腹私慾之れ營む嗚呼此の民を如何
せん所謂招討使なるもの亦是れ無識怯懦逡巡兵を進めず而
して猥りに賢良有功の士を殺す是れ乃ち名を釣り邪を飾る
もの久しからずして必ず毒刑を受けん知らずや三歲の後を
必ずや國は露西亞に歸し人は洋に化せんことを東道の大將
之を憂へ義兵をあげて以て民生を安んせんとす云云