○援軍の發程
東學黨猖獗官兵連敗との報韓廷に達するもの引きも切れず是
に於て廷議は間に一決し江華島の兵丁そ徵發することゝなり
江華留守海軍總制使なる閔應植は王命を奉じて江華に下向し
營兵五百を徵發して隊伍を戒め中▣徐炳薰を以て總將となし
麪麭千斤彈藥四千餘發を備へ顯益及び海龍の二船に搭じて同
地より仁川に着し更に全州監營に向て進發せしめたり之れど
同時に京城よりは別に二三百の兵丁を徵して陸路南道に向は
しめ海陸總掛りにて全羅の地を壓せんと企てたる第二の出兵
も物の數かは兩軍未だ境に臨まざる內に軍氣は沮喪し用ゆる
に足らず或は益山に或は臨崖に敗報續續として至り東軍は遂
に大擧して北上の途に上り今は京城を距ること五十里若しく
は三十里の外に屯集して勢援を相成し形勢中中容易ならずに
見へにける