○全州の沒落
招討使は八百の親兵を引卒し居りたるも戰死或は逃亡等にて
殘り少なに見へければ群山にありて臨時に民兵を徵發せんと
欲し一の關文を發つして各邑各里より三四十人づゝを召募す
ることに着手したり然るにある日の事にて百五十餘人の民兵
陣門に來りて慇懃に徵發に應じて馳せ來りたる旨を述べ其證
として右の關文を示したれば招討使も何の疑ふところなく大
にその義を賞し手厚く取扱ひたる上にて之を隊中に縕入した
り夫れより招討軍は東徙
城の近傍月坪と稱する地に至りたるとき宛も好し東徒の彼方
より來るに遭ひしかば直に開戰し奮擊突進の際右の百五十餘
の民兵は一聲の合圖とゝもに忽然二た手に分れて左右より夾
み擊ちしかば京軍は三方より▣擊されたれば全軍忽ち潰亂し
散散に薙倒され算を亂して倒れたるもの四百人に餘り僅かに
殘れる敗兵も雲霞と逃げ失せたり是れより東徒は勝に乘じ進
んで全州を距る三里の所に迫り其午後に至りて遂に該營を乘
取りたりと之れ全く東學黨の民兵に扮して入込みたるものな
りといふ