○慶尙道の東學黨

慶尙道全海府は釜山浦より道程餘り遠からぬところの一鎭な
るが全羅道古阜の暴擧に前後して此地にも一騷亂は起れり同
地方にて狹客を以て鳴り渡りたる尹子益が指麾の下に無數の
黨與は集まりて遂に一擧して府使を遂ふに至りたる事の顚末
を記さんに其初め同地一部落の人民は多年虐毆に若るしみた るのあまり遂に黨與を集めて大事を企てんと種種評議をこら
したりけるが尹子益の聲望を聞ぎ遂に之を首領に押し立てつ
ゝ近傍に檄文をとばして云へるやう我我は暴官汚吏の專橫を
誅戮して人民を塗炭の苦みより拯はんとするものなりされば
我黨の義擧を助けんとするものは各一戶に付一人の賦投を出
すべし若し之を拒むものは我我は暴官汚吏の一派のものと見
做し直ちにその家屋を破壞し罰銀若干を追徵すべしとぞ脅迫
したりしが元より朝政の不平に堪さりし民人のことなれば遠
近風を望んで來會し總數旣に七千餘人とぞ注せられぬ其勢中
中當るべくも見へざりける而して尹頭領は部下に號令を下し
進發を促かしければ七千餘の亂民は各各得物を携へつゝ府吏
の館にぞ闖入なしたりけるが不意を討たれて狼狽しつゝあり
たるの府使趙駿九を捕へ之を縛り上げ古廟の中に幽閉し尙又 屬吏屬官等の數人を捕獲し遂に府使をば再び古廟の中より引
さ出して府城の北門外に放逐し屬吏以下のものは一同打ち集ち
りて土足に掛け或は面に唾し或は髮を拔さなどして終には之
に首桔を施し獄中に投したりと一群は旣に府使を放逐し屬吏
を苛責せしかば一先づ腹の癒えたる摸樣なれば尹頭領は此に
て一先づ壯丁を解き各各歸農せしめ觀察使の來るを俟ちて何
等の詮議を受けんことを覺悟せりといふ尹子益の體中流石に
一片狹骨の香ばしきものあるを見る

尙慶尙道に於ける東學黨の騷擾は韓曆四月十一日發同道より
の報によるに晉州城より十里を隔てたる德山には近來東學黨
亂民の集合せるもの數千人に及び兵使營よりは同日五百餘の
兵を發したり目下州城より西北に當る地方は恰かも戰地の如
き觀ありと云へり尙其後報に接するに愈愈五月二十九日に至り 黨人數萬不意に襲ひ來り兵使も防禦の術なく電を飛ばして京
城の援兵を求めたりと晉州は釜山居留地を距ること僅かに三
十里の地なりといふ