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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
日淸戰爭實記 일청전쟁실기
  • 기사명
    東徒討伐報告
  • 이미지
    prd_0149_019 ~ prd_0149_019 (259 ~ 259쪽) 이미지
  • 날짜
일러두기

東徒討伐報告

本月八日大邱發靑山附近へ派遣せし大邱守備中隊長三宅大尉より別紙の
報告ありたり

一月廿五日 釜山兵站監碇泊場司令官 伊津野千里

川上兵站總監宛

一月八日午後七時大邱兵站司令官伊津野少佐より洛東兵站司令官の協議
に依り永洞山間の東徒取壓の命を受け一分隊を率ゐ卽刻大邱を出發す同
十日黃澗に着せしに東徒は已に靑山縣に退却の旨曾て出張せし桑原少尉
より報道あり下官はシウ山を經て該地を攻擊すべきに付き桑原少尉に栗
溪より靑山に進み攻擊すべき旨を命ぜり

同十一日靑山に至りしに東徒は已に元岩方位に退却せり十二日桑原少尉
の二分隊を前衛とし一分隊及び韓兵を本隊とし下官自ら率ゐ東徒を追擊
し首皮(靑山西北約二里)に至りしに一の東徒を見ず尙進んでテウ安(靑
山西北約四里)に至りしに、斥候のみにて東徒の本隊は已に鐘谷に退却
せるものゝ如し彼は月明に乘ぐ夜▣を以て擊破するに決せり、午後七時
テウ安を發し一分隊と尙州韓兵二百名とを率ゐ本道の右側山道を進行せ
り午後九時各隊鐘谷附近に至るに東徒は處處に焚火し▣を取り備へなき
ものゝ如し此時右翼に在る桑原少尉より東徒の集合の熾んなり依て兵を
右翼に合して攻擊せんと望み來るも左翼の東徒亦熾んなり依て兵を合す
る能はず同少尉に兩翼各遊擊すべきを命ず、午後十時攻擊す彼れ狼狽す
僅に抵抗せしのみにて北方に潰走す我兵要部を占領し戰ひつゝ徹夜せり
同十三日午前七時更に攻擊に轉ぐ桑原少尉の二分隊を右翼の山上に左
翼の山上には韓兵廿名我兵三名を配附し中央山上に下官一分隊と韓兵百
十名を率ゐ進行す前進約百メートルにして戰線背尾なる東徒は鐘谷北端
の高地或は村落を全領し勢甚だ猖獗なり(其數約一萬以上)戰酣なるに及
び彼は我兩翼に進み殆ど包圍の形と成れり或は中央を衝かんとする數回
一時勢力猛烈を極むと雖も我兵奮鬪之に當る午前九時に至り東徒は第一
戰自然薄弱となるを認む依て時機を謀り我軍突進敵地を占領す時に九時
半なり、敵は東北方三キよりメウバク二ドウ山頂に分れて敗走す韓兵を
して之れを追擊せしむ

鐘谷は東徒亂暴狼藉を極む人民逃避我兵を給養する能はず依て報恩郡に
至り兵を屯し其動靜を探偵するに北方の賊は淸川、淸安、陰城、槐山等
に潰走し近傍其の跡なし十五日桑原少尉は黃澗に歸り洛東より援兵とし
て派遣の石川軍曹の一分隊と下官の一分隊を率ゐ洛東に歸る

此役桑原少尉は左腿に微傷を負ふ又尙州韓兵一名負傷す東徒の死數百
(內夜襲の際劍殺するもの數十又尙州韓兵の報告に據れば首領鄭戴俊及
び仁奎洪も此役に死せりと)分捕牛馬數十武器▣數多なり

洛東後備步兵第十▣隊第二中隊長

一月十七日 三宅剛義

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