報告
明治 28年 1月 14日 於咸平
陸軍步兵特務曹長 鈴木政吉
南少佐殿
一 古阜以來探偵の必要を感す。金中軍及朝鮮兵什長1名、兵卒5名を選拔し變服して土人に擬せしめ、以て路傍の風說及土人の雜話等に注意せしめ、專ら探偵に從事せしむ。滯在地に於ては或は同地に宿泊せしめ、或は遠く里余の地に宿泊せしめ、以て風評に着意せしむ。
二 當地縣監及元義兵長(兼て町田軍曹護送せし一人)の事に就ては當地着の日、(元高敞縣監)李景寅の申告に依り種々探偵を出し、(或は道路の風說、或は群集人の雜話等に就き)搜索するも、元義兵長李相三は、只都督大將の名を以て東學黨に加盟し、終始本邑を離れず、常に此地に在て他東徒の亂暴を防き專ら人民の保護するの策に外ならす。而して彼就縛以來、當地人民等再三書面を以て罪跡無きを證し、放免を出願して止まず。然れども都督大將の名あるを以て縛して幕下に呈す。其後種々探偵を遂るに只東徒に加盟し以て都督大將の名ある罪のみにして人民に暴行を加へ、或は財物を掠奪等の事更に無之、人民等皆謂我邑人民等生命財産を今日に保つを得るは獨り此李相三の力なりと。事容易に信す可からざるも、探貞上、眞に近きものの如し。
三 縣監の罪蹟も同樣探偵を遂るに是又罪無きものの如し。只常に賊徒中に在りしを以て幾分の疑無しとせす。依て一應尋問をなすも、我東學黨中に在て勢力に抗し不得。故に只東徒意の如く我邑我家に入り擅に財物を掠奪するも、只彼の意に任しありしを以て今日あるに至る。故に我自ら罪無しと云うも我言又信せられさるを如何せん。只罪の有無は貴官の明察と世評に任すとの言なり。而し十一月二日大接主李化辰の請求に對し金穀の需めに應し得さるを以て、吏房一人、書記一人は棍打せられ、其傷痕今尙存在す。御參考迄。只此一言を述フ。
四 元義兵長李相三の罪蹟に就き尋問するも我今日嫌疑ある身を以て人の有罪無罪を述フる。又信せさる可き理無し。然れとも彼東徒に加盟せしは只他党の暴行防き人民を保護するの策に外ならずと。是又人民の言及風説に異なる無し。
五 当地着後、人民の言及風説に依るば、(元高敞縣監)李景寅又東徒関係あるものの如し。依て是又今日迄探偵を尽し入れり。
六 李景寅罪蹟は稍確実なるものあり。曰く李化辰(当地大接主已に民兵の手に銃殺せられたる者)と同心して東学を為すものの如し。依て昨夜(午前第2時)同人を捕へ即時家宅の捜査を為せしに、東学に関する書類一つも不得、只彼れか一度賊徒のために掠奪されし物品を大接主の命に依り接主より返却せし物品の目録一片あり。是嫌疑の一点なり。而して彼東徒の難を羅州に避けたりと言へも(其実否を不知)家族は大接主李化辰の家に預けありしと是嫌疑の第二点なり。而して彼か元使役せし馬夫を李化辰に与え、李化辰の馬夫となし。 李化辰の死後再ひ(現今)自家に使役し置けり。是嫌疑の第三点なり。而して彼頃日羅州に至り招討使に請へて無罪の証明證を持て来り、之れを人民に與へんとす(證書は押収し共に送付す)。其人果して罪なきか、是れ何れも李化辰の下に在て共に賊徒中にありと(今捕縛に就事せしむ)。是其四なり。
別紙押収せし未発(李景寅より姜元魯に送らんとする書簡)の信書に依れは 招討使當縣監及李魯三, 李相三を□するか如し、(縣監人民等只偵察せは賄賂を以て李相三を救はんとする等の事、又風評も無きものの如し。人民等只云フ明察を祈ると)。而して義兵長及李魯三、縣監等を有罪なりとす其証を求むるも無し。行為所為甚た不審多し。馬夫を捕へ尋問するに其白状、別紙の如し。
七 尚 李景寅の罪状に就き人民より提出せし書面、別紙の如し。又李景寅より密告せし書面亦別紙の如し。両様共御参考迄に送呈す。
八 李景寅罪跡に就き人民より提出せし書面中添付せし罪状中第二項は押収せし。書類は参照して事実明白なり。御参考迄に送呈す。
九 以上の事実に依れは己の罪を掩はんか為、人を害せんとする者の如し。果して然らは縣監李相三は無罪の証するに足る。目今罪跡探偵且捜索中。故追て報告す可シ。
十 李化辰は當地の大接主にして常に他地方に在て暴行極り無く、時々當地に来り。此地を侵せし者なりと云ふ。
十一 未発の押収せし信書に依れは兼て羅州へ出張の節、本部在朝鮮通弁姜元魯と何か事を議せしものの如し。其後往復せし書なきや一応御取調ありたし。
十二 當縣監御地招討使の命に依り本日當地を出発せんとするも、詮義を要する件あるを以て一日猶豫せしめたり。
十三 李景寅は馬夫、其他下人等の帽前に(招討営兵丁と記せし招討使の捺印せしもの)を貼りたる者、数人を遣はし、本日李相三の家宅を焼失す可き命を與へ、已に全く家屋を破壊せり。此の所為に就ては 招討使の処置又其當を待さるものの如し。
十四 霊光付近尚留兵必要の感あり。壮営兵若干を割き派遣せんとす。御指令を待つ。