닫기

연락처
기념재단
TEL. 063-530-9400
박물관
TEL. 063-530-9405
기념관
TEL. 063-530-9451
Fax.
063-538-2893
E-mail.
1894@1894.or.kr

동학농민혁명기념재단 사료 아카이브 로고

SITEMAP 전체메뉴

1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
內亂實記朝鮮事件 내란실기 조선 사건
일러두기

(一) 朝鮮の兵制 東學黨のために連戰連敗したる朝鮮の兵制に就て某氏の談に據れば朝鮮國の常備兵と云ふは京城に屯營するものにして實際の兵員は四千人許りもあるべく之を四營に分ち一營の員數は稱して千五百乃至千六百と云へどもこは兵士の手當として官より給與を受くる時の目安に供する虛數にして實際は一營に一千內外の兵士を見るのみ故に內實の兵員と表向の總員との差に相當する兵士への手當丈けは各營の上長官に於て私消するか分配するか何れにしても正當には支拂はれざるなり而して隊伍の編成は十人を最下級の組となし夫より二倍宛を增して名を變へ隊を組み次第して一營をなし一營に長たるものは權威なかなか盛なりと雖も兵に將たるの才幹伎倆は全くなしと云も可なり故に平時に於ける兵士の調練等は我日本にて云へば曹長位の格式の人專ら之を司り米人デニ―氏之が師範役たる位にして將校は常に袖手傍觀し居るのみなれば號令の下し樣すら辨へざるものあり此の弊や實に級階の上る程甚だしと云ふ平時の有樣旣に斯くの如くにして士氣更に振はざれば是等の將校兵士にして能く敵と戰ひ能く敵を敗らん事到底望み得べからず況して是等兵士の師範役たる米人デニー氏は曾て我神戶の稅關に雇はれ居たりし人物にして兵事には餘り練達したりとも見えざれば此の敎を受くるもゝの手並は察するに餘りあるべし然れども銃砲は四營とも米國製にして製式亦同一なれば此點稍々見るに足るべしと雖も暴徒鎭撫の爲めとして旣に京城を繰出せし三千內外の兵士中には銃器彈藥を敵に奪はれたるものも少なからざるべし此の外朝鮮の兵員を彼の地に渡りて彼の國人に問へば至る處にて此處にも彼處にも幾千幾百の兵ありと左も誠らしく答ふれども實際の內員にもあらずそは朝鮮に於ける往昔の兵制は屯田兵の組織に依り頗る時宜に適中し居たりしものなるべく藩あれば玆に土着の兵あり、隨時徵集訓練して萬一の變に備へたれども星移り物變りて折角の制度も次第に弛廢し其極、戰陣の實役に稍や服し得べき兵士の實數すら非常に少なく武器亦之なきにも拘らず泰平に慣れたるの餘り是等の實地を調査して實力を養ふの擧を企つるものなく因襲の久しき今尙之を改むる能はずして地に依り場所に從ひ徒に何千の兵ありと誇稱するに過ぎず且つ郡府縣等官衙の所在地には兵器を藏する庫あれども曾て之を開きたる事なくその兵器は何れも錆切つて僅に其形を存するのみ某國の士官同國漫遊の際此の武庫の一見を至る處に求めたれども封印の儘前任者より受繼ぐの慣例にして曾て開きたる事なければ今更之を他國人に示し難しと何れの管守人も之を謝絶したるよし依て士官は窓より竊に內部を窺ひしに物の用に立べき器具は殆んど目に止らざりしと云ふ又水營と稱して恰も我邦の鎭守府と同性質の官署なきにあらざれども軍艦らしきものすら一艘も之なき位なれば營所と云ふも見るに足らざるなり之を要するに今日の朝鮮國には洋式に依て訓練せし兵士四千有餘あれども京城に屯營中のものは今は千數百に過ぎざるべしと云へり (二) 小川書記生の直話 今回歸朝せし朝鮮國仁川領事舘在勤書記生小川盛重氏は神戶に於て或人に語て曰く今回の朝鮮事變に就き我日本の各新聞を閱するに何れも東學黨が變亂を企てたるものゝ如く記載し居るも一体今回事變の起因は東學黨にあらずして地方の農民より起りたるなり數年前より全羅道の農民は監司金文鉉の虐政を憤ほり屢々政府に陳情書を提出して監司の更迭を希望し政府に於ても人民の希望を容れ金監司を他に轉せしめ人民の不平を解かんとの內議ありしやに聞及びしが未だ其運びに至らざるに先立ち人民は政府に於て監司を除き吳れざるに於ては自から之れを除くより外に方法なしとて意を決して今回の暴擧を企てたるものにして人民が怨恨を抱き目指す所の敵は監司金文鉉の外轉運總務官(中央部の官にして貢米運搬等の事を掌どる(趙弼永及び管下府使)地方官にして監司の下に留使と云へる官あり其の下に位する官名)某の三名にして曾て此三名を極刑に處し全羅道の各所に曝すべしとまで唱へたる程なり 右良民の暴發するや金監司は直ちに逃走し其下に位する官衙の長官留使、府使、牧使、縣監も居堪ずして何處へか逃走し監營(監司の長たる官衙の名)の屬官我國にて云へば判任官、雇吏の如きものは逸早く暴徒の中に加はり且つ東學黨が一擧して之れを援け遂に斯る大事に至りしものにして暴徒の種類を分別せば地方の農民官吏、東學黨の三種なりとす其起因前述の如くにして人民の希望する所は虐政を脫して寬政の下に支配さるゝ事となれば夫れにて足れりとするものにして決して遠大の目的を抱く者にあらず京城を陷るゝが如きは夢にだも彼等の思はざりし所ならんも東學黨が此の機に乘じて年來の目的を果さんとして遂に京城迄も陷るゝの策に出でたるものなるやも圖り知るべからざるなり 余が仁川にて伊勢丸に塔じたるは本月四日夜の事にして同日迄に全羅、忠淸の二道を民軍が占領したるは事實にして鎭撫の爲め淸國より兵を送り來るべしとの風說を聞きたれば之れを確めん爲め淸國領事を訪ひたるも折節領事は京城へ上り居り不在中にして聞く事を得ず漸く同日夜に入りて淸國より愈々兵を送り來るべしとの事を確知したり余が出發前にありては仁川は平常と異なりし事なく最と無事なりしが恐くは今後に於ても仁川に異變ある樣の事はなかるべしと察せらる倂し全羅、忠淸、黃海の三道は朝鮮國中樞要の場所にして日本商人が大豆を始め其他の貿易品買取りの爲め入込むは皆此の地方なれば今後變亂の長引く事もあれば日韓貿易上には尠なからぬ影響を蒙る事なるべし云々又た小川氏は朝鮮現今中央政府の各官及び八道監司の各官氏名を記載したる表を示したれば時節柄左に記載すべし 中 央 官 領議政 沈舜澤 左議政 趙秉世 右議政 鄭範朝 吏判書 閔泳煥 戶判書 朴定陽 兵判書 李承五 刑判書 李正魯 禮判書 洪鐘軒 工判書 金鶴鎭 外督 趙秉稷 內督 閔應植 左捕將 申正照 右捕將 李凰儀 扈衙使 金煥始 統衙使 閔泳駿 經理使 同 上 壯衙使 李鐘健 總御使 韓圭卨 海軍統制使 閔應植 總制使 閔泳玉 郵電總辨 趙秉稷 鑛務總辨 閔泳

이 페이지에 제공하는 정보에 대하여 만족도를 평가해 주세요. 여러분의 의견을 반영하는 재단이 되겠습니다.

56149 전라북도 정읍시 덕천면 동학로 742 TEL. 063-530-9400 FAX. 063-538-2893 E-mail. 1894@1894.or.kr

문화체육관광부 전라북도청